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親切は天下の回り物

大学生の時のアルバイト先は、ガヤガヤとした飲み屋街の端にあった小料理屋。

店主は八十代のおばあちゃん。私は親しみを込めて”ばぁば”と呼んでいた。

週三回のアルバイト中、ばぁばには色んな事を教えてもらった。

その中のひとつが、「損して得とれ」という言葉だ。



ばぁばは着物をしっかり着付けてその上から割烹着をはおり、一見上品そうに見えて、お店に立つと優しくて人懐っこい理想の女将さんという感じだった。

そんなばぁばの切り盛りするお店は、カウンターが六席、テーブルが三つの小さな小料理屋。

お客さんには温かい料理を食べてもらいたいと、大皿で作ってカウンターに並べるような事はしていなかったから、注文が入ると厨房に籠もりっきりで、私一人でお客さんの対応をする事も多かった。

ばぁばは料理の注文が落ち着くと台所から出てきて、お客さんからご馳走になったビールを八十代とは思えないほど勢いよく飲んでいた。

接客に出てくると、常連さん・一見さん関係なくサービスをした。

気前よく突き出しのお替りをよそったり、喋りながら賄い用の料理を出してみたり。

常連さんが上司を連れてやってきた時は必ず、注文とは別に一品何かサービスしていた。

そんなばぁばを見ていて、単純に気になり「赤字にならない?大丈夫?」と聞いた事もあった。

そうすると「のんちゃん、損して得とれだよ。」と笑いながら話してくれた。

「連れてきた上司がいい気分になってくれれば、その常連さんは出世して、また大勢の部下を連れて来てくれるしね。」

こう書いてしまうと何だか下心満載だけれど、その後にこうも言っていた。

「おかずを食べてもらってお客さんが笑顔になると自分も嬉しいし、せっかく来てくれたんだから良い思いをしてほしくてね、ついね。」

私はこちらが本音だろうなと思った。

ばぁばの年齢からすると、その常連さんが部下を連れてくる頃には引退してしまって、お店も閉めていてもおかしくないと思う。

だからこそ、将来の見返りを求めてサービスしているのではなくて、ただ目の前のお客さんに喜んで欲しくてやっているように見えた。

商売をする上で、こういう考え方は大事なんだと学んだ。



ばぁばは学生の頃から商売と言うものをしてきたらしい。

親がやっている仕事を手伝い、姉たちの店を手伝い、そうして自分の店を持つようになった。

初めて自分で切り盛りしたのは民宿、そのあとは某地元企業の寮母、とんかつ屋、そして小料理屋。(順番が間違っていたらごめん、ばぁば)

私が出逢ったときには、既に五十年も商売の道を歩いて来た人だったので、ばあばの話はいつも面白くて、ためになった。

育ってきたのは戦火にも見舞われた港町だったので、当然戦時中の話もよくしてくれた。

闇市の話は、現代では到底あり得ないような内容だったけれど、聞いているとわくわくしてしまった。

苦労もたくさんしてきたからこそ、言葉にも重みがあった。



「損して得とれ」は、沢山もらった言葉のほんの一つだけれど、何故か一番心に残っている。

ばぁばの人生を見聞きしていると、「損して得とれ」というよりは、「親切は天下の回り物」という造語の方がしっくりくる。

お金は天下の回り物・・・の本来の意に当てはめると、少し意味が異なってしまうけれど、人に与えた思い遣りは回りまわって自分に返ってくるものだと思う。

私はそういう意味でこの「損して得とれ」を思い出している。

日々の生活の中、色んな場面でこの言葉を思い出して、目の前の相手に積極的になれた事が何度あっただろう。


自分も年齢を重ねたときに、話す言葉に重みを感じてもらえるような、そんな人になりたいと思う。

そしていつか、天国でばぁばに私の人生を存分に聞いてもらいたいと思っている。


#あの会話をきっかけに

#忘れたくないこと

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#エッセイ

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