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会いたいあの子

「あの人はいま」「あいつ今何してる」

”久しぶりに会いたい誰か”を探す番組を見るのは好きだ。

見ていて一緒にわくわく感を味わえるところが楽しい。

それと同時に、依頼出来るのなら絶対に会わせて欲しい、と思う人がいる。



その子はマキちゃんと言う、小・中学校の同級生。

私の通っていた市立小学校はほとんど持ち上がりで、周辺のいくつかの小学校と合流して一つの中学校に行く。

なので中学校は一学年に二百人強いるような、その地域ではまあまあのマンモス校だった。

小学生のとき、マキちゃんは明るく快活で、周りの子を引っ張っていくリーダーシップがあって、いわゆるカーストのトップにいる子だった。

けれど威張ったり意地悪するような人ではなく、みんなから人気があった。

小学四年生の頃の私は、マキちゃんと同じクラスになった事が無かったのだけれど、それまでの四年間でそう言う人だと認識していた。

五年生になって、マキちゃんと初めて同じクラスになった。

同じ教室で過ごしてもイメージ通りの人で、すぐにクラスの賑やかな女子グループのリーダー的存在になった。


一方、その頃の私はかなり大人しい性格で、賑やかグループに憧れるものの遠目から見るしかない・・・そんな子どもだった。

いつも三人で一緒にいる友人がいたが、その子たちも大人しめの性格だった。

もちろん一緒にいるその二人の友人の事はとても好きだったけれど、賑やかグループはとても眩しくて、羨ましい存在だった。

きっとこんな風に、輝いているものへの憧れと、それが手に入らないモヤモヤの中でひっそり過ごすのが私の生き方なんだろう・・・と小学生ながら思っていた。


五年生の生活も終わろうという頃、何の科目だったかはさっぱり忘れてしまったけれど、”数人のグループを作って自由に発表してください”と言うような授業があった。

自由研究みたいなものを発表したり、劇をしてみたり、本当に自由な創作活動だった記憶がある。

大人しい性格の私にとって、創作をして人前で発表するという内容は恐怖の時間だった。

気は進まなかったが、いつもの様に友人と三人で集まって「どうしようか・・・」と話し始めたとき、大事件が起こった。

あのマキちゃんが、「私も入れてくれる?」と言ってやって来たのだ。

勿論、私たちは二つ返事でマキちゃんを迎え入れた。

その時の友人たちの顔も明るかったから、「この二人も憧れてたんだ」とふと感じた記憶がある。

そして、賑やかグループからもう一人だけメンバーが合流して、五人で創作活動をする事になった。

これだけ成り行きを鮮明に書いておきながら、実は創作した内容はこれっぽっちも覚えていない。

ただ、ひたすらに楽しかったという感情だけは覚えている。

この日を境に、創作活動のメンバー五人で過ごす事が多くなった。

マキちゃんがいると、やはりそれだけで場が明るくなるし、何故か自分まで明るい性格になった気がして、私の中で自信みたいな物が生まれていた。

ある時、思い切ってマキちゃんに「あの時はなんでいつもの子たちと一緒にやらなかったの?」と聞いてみた。

返ってきた答えは、「ちょっと疲れちゃって」だった。

私からしたら眩しいグループだったけれど、中では色々と大変だったんだ・・・とその時悟った。


マキちゃんとは、その後小学校を卒業するまで同じグループだった。

一緒に過ごしていく時間が長くなるにつれ、私はグループの中でもマキちゃんと一番気が合う事に気が付いた。

趣味が似ていたのだ。

アニメや漫画が好きで、少女漫画系では無く、所謂アングラな世界観を持った作品が好きだった。

マキちゃんの家で、私のまだ知らないジャンルの漫画を読ませてもらったりした。

「のんちゃんならハマると思って」と言って渡してくれた漫画たち。

私はまんまとのめり込んで、驚くほど世界観が広がった。

ただ、そのジャンルと言うのは、あまり大っぴらには言いにくいのだけれど。


中学校に上がるとマキちゃんとは違うクラスになり、其々違う部活に入る事になって少し疎遠になった。

それまで一緒に下校していたのに、部活が違うとそれも出来なくなった。

趣味の情報交換でたまに遊ぶ事はあったけれど、私が選んだ部活はその中学校一厳しく忙しい運動部で、遊ぶ時間をあまり持てなかった。

そんなこんなで、少しづつ離れていったマキちゃんとの関係。

中学三年生になるとマキちゃんに対しても変化を感じた。

まず、あまり目立つ存在では無くなったこと。

相変わらず明るく快活な雰囲気は変わらなかったけれど、賑やかグループに身を置くこともなくなっていた。

ただ、中学校での賑やかグループというのが、少しギャル要素のある子たちが多かったので、マキちゃんとは根本的に合わないだろうなとも思った。

実は中学三年生のとき、私はマキちゃんと同じクラスになった。

けれど、同じグループにはならなかった。

私がその一年一緒に過ごしたのは、ギャル系の子二人、運動部で活発な二人、そして何かとやんちゃな噂が立つ女の子、その五人だった。

なんでそう言う流れになったかは、はっきりとは覚えていない。

けれど今振り返ってみると、私自身が変わった証拠だったのかもしれない。

それは、良いように、悪いように、という表現は出来ないけれど。



実はマキちゃんの他にもう一人、同じ趣味を持つミライちゃんという同級生の友人がいた。

高校生になって遊ぶ時間が戻って来ると、マキちゃん・ミライちゃんの三人で集まる事が多くなった。

とは言っても、三人とも別々な高校に通っていたので、数か月に一回くらいのペースだったと思う。

けれど、そこには確かな友情があって、趣味の話以外にも自身の近況を相談し合ったりしていた。

マキちゃんは高校に通う傍ら、家の近くのコンビニでアルバイトもしていた。

そこでの年上の男性との恋愛話を聞くこともあって、充実しているんだな・・・と感心していたが、実際はそうでは無かったのかもしれない。

だんだんと、「アルバイト先でこんな事が、高校ではこんな事があって・・・。精神的に辛い。」とこぼす事が多くなった。

私とミライちゃんは心配こそしたけれど、心のどこかでマキちゃんなら自分で乗り越えるだろう、そんな風に考えてしまっていた。

そんな状況が続いていき、私は大学生になった。

マキちゃんは進学はせず、アルバイトを続けていた。

出逢った時から漫画を描いたり小説を書いたりしていた人だったから、私はてっきりその道に進むのだと思っていた。


けれど結局、そのあたりから会う頻度はかなり減ってしまった。

マキちゃんは、体調が悪いと言って会えなかった事もあった。

私としても、生活環境異なっていく中でマキちゃんが心配な傍ら、会った時に何を話すべきかを考えるようになってしまっていた。

それまでは同じ環境で過ごしてきたから、頭で何も考えなくても自然と話す話題に事欠かなかったし、何より趣味の話で時間が足りないくらいだった。

それが時間と距離が空くにつれて、共通項を探すことが難しいような気がして、果たして会話が盛り上がるだろうか?と心配する自分がいた。

一番の理由は、かつてあれ程燃え上がっていたアニメや漫画に対する熱が、私の中で下火になってしまった事が大きいのかもしれない。

そんなこんなで、そこから更に十年以上が経ってしまった。

最後に会ったのは二十歳前ぐらいの時で、それ以降はメールのやり取りも減っていって、お互いにアドレスも変わり、連絡が取れなくなった。

かつて仲良かった他の友人たちも、携帯のアドレスが分からなくなるなんて事は当たり前のようにあったけれど、その子たちとはSNSさえ開けば連絡が取れた。

けれど、マキちゃんはどんなに探しても、SNS上で見つけられなかった。



ニューヨークに来る前、やはり私としては一つの節目になるタイミングだと思ったので、マキちゃんに会う事を考えた。

連絡が取れないと言っても、実家の場所は朧げに覚えていたから、探せば簡単に会えるのでは無いかと思っていた。

けれど、結局会わなかった。

何かと理由をつけて時間を取らず、何も行動を起こさなかった。

「行っても家が見つからなかったら」「会うのを拒否されたら」「会っても気まずい雰囲気になったら」

そのまま何もせずこちらに来てしまったけれど、こうやって時折会いたい気持ちがむくっと顔を出してくる。


私にとってマキちゃんは、大袈裟な言い方かもしれないけれど、運命を変えてくれた人だと思っている。

あの時マキちゃんが声をかけてくれなかったら、私はずっと暗い殻に籠もったまま、華やかな世界を遠巻きに眺めるだけの人生になっていたと思う。

もしかしたら、その後他の誰かが違う形で変えてくれたかもしれないし、自発的に変われる事があったかもしれない。

けれど、今ここにいる私が出来上がったのは、あの時のマキちゃんのおかげだ。

歳を重ねるにつれ、連絡を取る人が減っていく。

寂しいと思いつつ仕方のない事だと諦めてきたけれど、私はマキちゃんだけは諦められそうにない。


いつか、どこかで人生の糸が繋がって、自然な形でまた再会出来る事を願っている。

その時は、初めて貸してもらった漫画の話をしてみようと思う。


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