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強くなることの怖さ。そして見つかった生き方

最近感じていたこと



ある程度自分で物事を考えられるようになって、自分で答えを出せるようになって、自分で行動できるようになって、人からの言葉と自分の意思を切り分けられるようになって



多分赤子のころと比べれば人として数歩は成長したんだと思う
世間的に言う、生きやすい頭の使い方をして生きられるようになった
ちょっぴり強くなった




良い事なのかな、最近はそれすらもわかんない



頭の中にはいろんな論理があって、思考や行動の度にそこから手段を引き出したり、足りなくなったら新しく付け加えたりしてる

まだまだ全然多いけど、間違えることは減った
人から否定されることも減った
でも何もわかんないで間違え続けてた頃の方が幸せだったなと思う



折り合いをつけるのが上手くなった
こんなもんだろと思えるようになった
でも、全力で信じてその結果、幸せを感じたり不幸になったりしてた頃の方が生きてる心地がした
見境なく作って崩してを繰り返してた頃の方が楽しかった




変に賢くなったせいで全力になれなくなった
事前に傷つかないように予防線を張ってる今よりも、なりふり構わず傷ついてた過去の方が充実していた




いわゆる大人になったのかもしれない




昔からセオリー通りに生きることに違和感はあったし、教えられた通りやるのは嫌いだった
それだけじゃないでしょって常に思ってた
でもそれを間違いだって言うと、いろんな人にお前の方が間違いだって言われた
何とも言えない感情
信じたいものを信じちゃダメなのか
別にいいんだろうけど、周りから人はいなくなるよ
そういう無言の圧力



昔所属してた組織の文化をすべて壊した
それが良い事だったのかはわからない
でも、自分はその在り方を正しくないと思った
だから、変えた。ちゃんと順を追って
多くの納得を取って、最後には感謝された
信じたいものを信じた結果、周りから人はいなくならなかった
無我夢中にならず、ちょっと大人みたいなことをしたらうまくいった
少し妥協もした
それでもちょっと嬉しかった
けど、同じくらいこの嬉しさが気持ち悪かった
全力じゃなかったから
変に賢く立ち回ったから
そんなことがしたいわけじゃなかったから



じゃあ僕はどうしたかったんだろう
僕がいなくなったら組織は元の形に戻るのかもしれない
じゃあ僕は文化を継承させたかったのか?
多分違う。そうだったらいいけど、その組織に「絶対」と言えるほどの拘りはない



「絶対」


 
ここなんだと思う
昔は知識がなかった。物を知らなかった
だから、盲目でいられた
「絶対」を心に掲げることができてた
「絶対」を胸に無我夢中に突き進んで、
失敗して否定されてちょっと泣いて
でも、たまに上手くいって肯定されて喜んで
見通しなんて立ってなかった
未来は不安で不明瞭で予測なんてできなくて
ゴールなんて決まってなくて
どうなるかなんてわかってなくて
だけどそれが心地良い
そんな感覚が「絶対」を信じられていた頃にはあった
全てが美しく見えたし、全てを恨んだ時もあった
それが堪らなく心を満たしてた



過去の自分が羨ましいし、妬ましい



あ、多分
こうやって生きたかったのか
書きながら気付いた



僕は強くなりたいわけじゃない
弱くありたいわけでもない
そんなこと考えなくて良いくらい「絶対」を信じて、「自分」を信じて
「誰か」なんて気にせずに進んでいたい
「自分の道」を行きたい
いつまでも童心の中に答えを持ってたい
ダメでもいい。それが僕にとって大事なもの


その生き方が難しかったとしても、そう在りたい
一人ぼっちになるかもしれない
誰もわかってくれないかもしれない


でも、それでも良い
そう思えるくらいこの感情は自分の中で大きいことがわかった
多分、もう譲れない
すぐにそうなることは難しいかもしれないけれど、そう在るために命を使う
じゃなきゃ多分死んでるのと一緒
また現実逃避しながら生きてた2年前に戻っちゃう
今度こそ





これがわかっただけでも、これを書いた価値があった
もしこんなのを読んでくれた人がいるならありがとうございます





またね




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