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建白書の時代の「民の声」 〜松山紀行〜

 今夏、ロイロノートユーザー会に参加する前に松山市内をふらふら散歩し、「坂の上の雲ミュージアム」に足を運んでビデオ資料を見ていて気づいたのは、明治のはじめが「建白書の時代」だったということでした。
 明治維新後、新しい国づくりに参画しようと全国のさまざまな人びとが自分たちのアイデアを建白書にしたため、政府に提出しています。
 たとえば、明治7年(1874年)の板垣退助らによる民撰議院設立建白が有名ですが、これはあまた提出された建白書のうちの1つに過ぎません。
 「坂の上の雲ミュージアム」のビデオ資料を見ていたら、じつにさまざまな建白書が全国で起草されていたことを知り、今さらながら驚きました。
 ビデオの中で大きく取り上げられていたのは、尺度統一の建白書を何度も提出し、明治政府を動かして「度量衡統一」を実現させた市川又三の取り組みです。世界中の尺度を調べ、その差異を明らかにしつつ、国内で地域によって異なっている長さや重さの基準を統一しようとする執念がにじみ出た自筆史料の画像には、驚嘆せざるを得ませんでした。
 全国からさまざまな政策提言が寄せられていた提出されていた「建白書」の時代には、直接的に「民の声」が政府に届けられ得るという意味合いにおいて、「直接民主主義」が機能していたと考えることもできます。
 「建白書」という制度によって醸成されていた「民の声」を起草しようとする熱気が、国会開設とともにしぼんでしまったのだとしたら、皮肉なことです。

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