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ずっと遠くに行きたかった

 幼い頃から、外を出歩くのが好きだった。いつも、ここではないどこかに行きたい気持ちだけが、起きている時間のうちの半分くらいは頭の中でぐるぐるしている。特定の場所に行きたいとか、今この瞬間から逃げ出したいとか、そういうわけではなく、ただ本当に純粋な気持ちで「ここではないどこかへ」と、思う。だから、移動を続けてここではないどこかに行けるような気持ちになる旅が好きだ。

 遠くに行きたい気持ち、旅行フリーク。たぶん、これは血だ。わたしの中に流れている血がそうさせるのだ。父方には、一族のお金を取って(そのせいでわたしの家は親戚づきあいが薄い……のだと思う)そのまま海外逃亡してしまった人が居るし、母方の曾祖母はまだ海外に行くことが本当に特別であったころに海外旅行をしていた。祖母は、母が熱を出すと「ラッキー。留守番頼むわね」と言い、船旅に出て何週間も帰ってこなかったという。血をずっと遡ると、旅や道楽が好きすぎて武士の家を破門となった遊び人の末裔。だからわたしの、どこか遠くに行きたい、旅をしたい、と思う心も血に因果があるのだ。

 両家の旅バカの血を受けついだわたしは、すくすく育った。母曰く、赤ちゃんのころから一日一回はベビーカーに乗せて散歩に出かけないと泣き止まなかったらしい。幼稚園では、脱走を繰り返し、小学生になると帰れないほど遠くまで自転車を走らせた。わたしの評価はいつも「落ち着きのない子ども」だった。教室で座っているのが嫌いだった。中高生の頃には、学校に行かずに電車に揺られては改札を出ずに往復し隣駅で降りるような日々(今思えばとても悪いことをしていた)。ここではないどこかに行きたいから、遠い南の島に住んでいる妄想の日記を授業中に綴っていた。大学生になり、一人旅を覚えてからはぐるぐると日本中を回り続ける。やがて海外にまで行くようになり、どんどんわたしの行動範囲は広がったのだ。

 移動の中でわたしは、景色をみて、少しだけ人と話し、本を読み、やがて文章を書きはじめた。文章を書くことは、移動の次に好きであった。遠くに行きたい気持ちがわたしを、「今のわたし」にしたのだと思う。それが、良かったかは悪かったかはわからない。遠くに行きたい気持ちがなければ、もっと、人とも社会ともうまくいったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 ここには、そういった中でわたしが体験した旅や読書や人々のことを書けたらいいなと思っている。

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