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リモートワークの罪悪感をめぐる断章

働き方改革という意味でも、学び方改革という意味でも、少なくとも感染リスクが十分に下げられない状況であるなら、すべてを対面授業でやらずにオンライン授業を取り入れる方法には、デメリットだけではなく多くのメリットがあります。

不登校の生徒が授業に参加しやすくなるとか、子育て期の教員が働きやすくなるとか、産休代替の教員をより広い地域から探せるとか、学び直しが用意になるとか、オンライン授業を経験することで多くのメリットに気づかされました。長時間にわたって学校という空間に拘束されずに済むというだけでも、ブラックな労働実態が社会問題になってきた教員にとって、福音とも言ってもよいはずなのです。

にもかかわらず、できるだけ早く、何とかして対面授業をしたいと思う教員がいます。あるいは「とにかく学校に行きたい」と願う教員が少なからず存在します。

オンライン授業をするスキルがないということではなく、とにかく学校まで行って自分の机に座って一日を過ごさないと「仕事をした気にならない」ということ、どちらかというと心理的な要因が大きいようです。

学校に通わずに自宅で仕事を済ませてしまうことに対する罪悪感と言えばいいのでしょうか。

名付けて、リモートワークの罪悪感です。

朝起きて食事を済ませ、身支度をととのえて学校に行くという行動様式。

小学校、中学校、高校、大学…と続けてきた行動様式を守らないと、気持ちが落ち着かないということなのでしょう。

時間を守って学校に行くという行動様式の長年にわたる刷り込みのなせるわざだとすれば、少し切ない気持ちにもなります。

もちろん、「子どもたちに会いたい」という気持ちはわかります。

でも、休校中でも学校に行きたいとか、3密を避けるために、オンラインであればできた対話がまともにできないのに、それでも「とにかく学校に行きたい」ということになると、「子どもたちに会いたい」だけでは説明できないものがそこにありそうな気がしてきます。

そんな教員ばかりではないと思いますが、そんな教員もいるというのが現実です。おそらく。

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