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プペル教/金という宗教に入っている私

なにやら最近は巷でプペル教というのが流行っているそうだ。
何年か前、妹の大学の卒業式で西野教祖がお話になったそうで、テレビ番組でも取り上げられている。
メディアや学問の場が加担するのはいただけないが、先生に関しては装飾するのが上手いな〜と感心している。

宗教と政治については家族でもなかなか議論できない。せっかくなのでここでプペル教について考察してみる。
前提として私は西野教祖を商売人として評価する一方で、私の美学とは対立する方と認識している。

私の宗教観について

まず宗教の持つ役割について書いておく。
宗教というのは元来、自然現象など人知を越えたものに対する恐怖や不安に理由を付けて安心させる役割があった。(ex.雨を降らせる神様、死ぬこと、流行り病…)
科学の発展と共に、人々は都合の良い一部だけを信じるようになる。(ex.死後の世界、贖罪…)

宗教とは本来振り回されるものではなく、すがって気分が楽になるものだ。

私自身、金という宗教に入っている。お金があれば大抵の不幸が避けられ、程度の低い揉め事から離れた場所にいれると思っている。だから貧乏なりの幸せなどを信じられない。

アリアナ・グランデの7ringsで批判が殺到した以下の歌詞に共感してしまったのは、金の力を盲信しているからだ。

Whoever said money can’t solve your problems.Must not have had enough money to solve ‘em.
誰かがお金は問題を解決しないと言っていたわ問題を解決するほどのお金は持っていないのね

これを読んだ人の怪訝な顔が想像できる。その顔をするほとんどの人が、これに当てはまるとも思う。

みんな金教に入れば、資本主義社会が生きやすいのにな〜と思うが強要はしない。
私は修行が足りないので倫理観が邪魔する時があるが、そこは商売人の美学の違いとして昇華している。

母は他人の目教と子供ファースト教に入っているので、体裁を踏まえた行動をよく取る。
母親は小さいコミュニティの中で揉めずにやる必要があるので必然といえば必然だ。


信じる対象がある事は、悩んだり迷う時間を削除してくれる。

西野先生が教祖たる所以

西野先生はかしこく、目的への自制心がある。なんでも金に変えられる。
解剖すればマルチ商法だが、綺麗な絵と共通の敵を巧みに利用し、擁護したくなるように仕掛けている。

「常識に屈するな」「夢を諦めるな」みたいな現代の日本人が好きそうな言葉で誘惑する。将来への不安を持ちながらも、夢を持つ余裕がある日本人にフィットした文言だ。

大抵こういった言葉を吐く本人が「認められたい」とかに走ってしまい甘さが露見するが、そこは流石先生。オンラインサロンや物を作り、お布施できる環境を整えている。奴隷化した信者に物を売らせて金に変えている。法にも触れない。素晴らしい。

ネットによって触れるnを最大級に大きくし、芸人という顔を知られている事実を利用した。顔を知られると保守的になりがちだが、西野先生は攻めを忘れていない。

北野武は映画を作りたくて顔を売ったそうだが、西野先生は社会に迎合したくなくて顔を売ったようにも見える。

先生の絵本は主人公に成長などの変化が無く、周りに馴染めない子供と迫害を受けるマスコットが、人間が否定した物の存在を見に行くだけだ。先生も周りと違う違和感を、周りがおかしいという結論付けをしているのだろうか。
他責の人間や何者にもなれていない人間がハマりそうな内容だ。そこまで考えて熱狂させているのかは聞いてみないと分からない。

プペル教は悪いものなのか

さて、西野教祖を信じることは悪いことなのだろうか。プペル教は無い方が良いのだろうか。

人は誰しも弱る時があり、考えられなくなる瞬間がある。そんな時に便利なのが宗教だ。
弱さに対して抱擁してくれたり、尻を叩いてくれる。

プペル教を信じる人と叩く人は16世紀の宣教師と日本の異教徒の対立を思い出させる。
宣教師は仏教が偶像崇拝をすることから激しく嫌った。一方で日本の政治家はキリスト教信者が団結し広がっていく様子を怖がった。

日本は第二次世界大戦後の天皇制の変化で、絶対的君主を失った。右左を示してくれる席を奪い合っているに過ぎない。

どの宗教でも盲信は良くない。〇〇が仰ったから〇〇すれば救われると言って、100万円の壺をコレクションしても人生は変わらない。シイタケで癌も治らない。

結局のところ盲信する人は考えることを諦めている人で、プペル教に入信しなくとも他の何かを1から100まで信仰するのだ。それで救われるのだから、もはやそれは生き方の自由なのだろう。

西野先生が利益のほとんどを他人のために使っているのを見た時、私は初めて共感できるだろう。
私は金教に入信している。暇な老人から頂いた金で養護施設や子供が教育を受ける現場を豊かにしたいと思っている。

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