noni_saku1977

ある男の半生を描いた物語

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ある男の半生を描いた物語

最近の記事

野に、咲く。17

野に、咲く。 第十七話

「ゴリラ屋事件」完結

ロケット花火は発射台に設置完了し、何が起きても自分らには関係ないと
 公園の隅に隠れて見ている同級生たちと、泣きじゃくる木戸を見て

一年前の出来事を思い出した僕は手持ち花火をじっと見ていた。

大人たちはいつもぼくに聞いた。「なんでこんなひどいことした?」

「なぜ、問題を起こすの?」「どうして、ひとに迷惑をかけるの?」

いつもこの問いに困る、、、理由は、特にないからだ。

人を困らせようとして、する訳ではない。遊んでたら

    • 野に、咲く。16

      野に、咲く。 第十六話

「ゴリラ屋事件2」

前回のあらすじ 小学3年生の夏休みに爆竹をバラして遊んでいた僕は

人差し指と親指の爪を負傷、近くにある商店のおばちゃんに処置してもらったが

絆創膏2枚で200円を支払うことに‥


同級生の木戸も店の前で爆竹を鳴らしたということで200円払わされた。

無言のまま西陽に照らされた暑い日のことだった。

その夜、僕は計画した、 ゴリラ屋襲撃作戦を。


次の日、朝から木戸を呼び出し計画を話すと(木「怖いよぅ、やめとこう」

(

      • 野に、咲く。15

        野に、咲く。第十五話
 「ゴリラ屋事件」
 雨の季節が終わり、一気に季節が変わる頃に夏休みバンザイ!

夏休みの思い出といえば、海だ、キャンプだ、遊園地に行っただの

楽しい思い出ばかりだろう。 僕の夏休みの思い出は、痛く、暑い記憶が蘇る。

僕は小学2年の冬に誤って建物を燃やしてしまう事件を起こしてしまった。

建設中の建物の中で焚き火をしその火が資材に移り引火、全焼した。

幸い怪我人などはいなかったが、たくさんの人に迷惑をかけてしまった騒動となり、

2年生の冬休み、春

        • 野に、咲く。14

          野に、咲く。  第十四話

「血風、吹き荒ぶ」 その3

記憶をたどり、打撃により鼻血を出した時のことを思い出した。

拳が当たり痛みが顔いっぱいに広がり、鉄の匂いが鼻の奥から込み上げてきて、遅れて血が噴き出す。

血液には鉄分がたくさん含まれているのだとわかる瞬間でもある。

姉に殴られたときに起こる現象の一つ、出血。 たまったもんじゃない。

小さい時から仲が悪くいつも嫌いで四十歳を超えた今でも姉とは、疎遠で

最後に話したのは17年前。
 その後 ”話さない、会わない、

        野に、咲く。17

          野に、咲く。13

          野に、咲く。 第十三話

「血風、吹き荒ぶ」その2

人を殴るとどうなるかわかりますか?

顔面を殴ると唇は切れて出血し、歯は簡単に折れます。
 顎の下はカスっただけで脳が揺れて気絶したり、鼻を殴れば血が吹き出してきます。

僕の姉は躊躇なく僕を殴りました。

とにかく喧嘩になると、しこたま殴られたのですが、もはや姉が強いのではなく僕が喧嘩

が弱いのに、仕掛けたのが悪かった。どこかで親の愛情を充分に受けている姉に嫉妬していたのだ。


ある日、姉に殺されかけた‥

5歳の頃

          野に、咲く。13

          野に、咲く。12

          野に、咲く。  第十二話

「血風、吹き荒ぶ」

笑顔で安心感を与えてくれ、悲しい時は寄り添い、困ったときは助けてくれる。

僕の中にいる、「姉」とはそうあって欲しいもの。

姉は全くの正反対、血で血を洗う姉との戦いをここで紹介しよう。

僕より2歳年上で、生まれた頃から両親の愛情たっぷりに育てられた姉は、

写真の数がすごい。生まれてから1日1日の写真を現像して貼ってある

アルバムが何十冊とあった。現在ならスマホで毎日何枚も撮れるが

当時フイルムカメラで何枚も撮り、現像

          野に、咲く。12

          野に、咲く。11

          野に、咲く。 第十一話

「二人の人生」

子は親を選べないが、親もまた然り。

僕は親に甘えた記憶がないが、どうか可哀想と思わないでください。

コレが僕の普通なのです。大なり小なり、少し他とは変わっていたり、いい思いをしたり

悲しかったり。 40歳をすぎると人それぞれのなのだと思うようになった。

母は幼少期から貧困な家庭で育ち、15歳で家を出て自由を手に入れたが、結婚してからの母は実際どうだったのだろうと、母が60歳になった時に話したことがある。

「60年生きてきて

          野に、咲く。11

          野に、咲く。10

          お父さんはパイロット」 後編 痛い話。 殴られるとどれくらい痛いのだろう。

刃物が体に刺さるってどれほど痛いのだろう。

僕の父はギャンブルが好きでパチンコ、競輪、競艇、競馬などについて行ったことがある。 

忘れもしない小学一年生の頃、福岡の競輪について行った時のこと、

父は予想が的中し大喜びし、競輪とはなんぞやとか、僕に将来は競輪学校に行って

競輪選手になれだとか、とにかく大興奮で上機嫌で懐も暖かった。 

今日は僕の好きなものなんでも食べていいよと父は言った。


          野に、咲く。10

          野に、咲く。第九話

          野に、咲く。 第九話
 「お父さんはパイロット」 中編

僕は幼少期に大人が大人を殴るのを見たことがある。

映画やテレビではなく実際に。 

あれは僕が幼稚園の頃、パチンコに行く父を追いかけていったときの話。

父は僕に、床に落ちているパチンコ玉を拾ってこいと命じた後、台に座り

打ち始めた。「取ってきたよ!」と10個ほどの玉を見せると「もっとたくさん」と。


 僕は虱潰しに探したが一つ一つ見つけるのもしんどいなぁと思ったそのとき!

大量のパチンコ玉が入ったドル箱を発見

          野に、咲く。第九話

          野に、咲く。8

          「僕のお父さんはパイロット」前編

六月になり今度は父の日です。僕の父について話しておきましょう。

父は母と同じく昭和22生まれ、長崎県の離島で漁師の家に生まれた。

妹と弟がいて、僕からするとこのおばさんとおじさんには
 とても可愛がってもらった。おじさんはぼくを映画に連れて行ってくれて
 おばさんはよく叱ってくれた。まぁ叔父と叔母の話はまたいつか‥

父の生い立ちだが一緒にいた期間が短すぎて聞けなかったが、期間は短くても

この父は内容が濃すぎるエピソードが多い。
 1

          野に、咲く。8

          野に、咲く。7

          「一服、盛って夏」 先週、母の料理のセンスの無さをご紹介しましたが 母の料理を食べるとよくお腹を壊したことを思い出します。 幼少の頃もそうだった。珍しく機嫌がいいと、何を企んでるのかと疑るようになった。 
−母は良く、僕に毒を盛っていたんだ。−
 「子供が、誤って食べてしまった!」と病院で話す。 いわゆる毒草を食べさせられたりした。遊びのつもりだったのか? 子が憎いのか? 保険金的なものなのか? 理由は今でもわからないが 僕を殺そうと思っていたことは確かだった

          野に、咲く。7

          野に、咲く。6

          母は家事が下手である。掃除はまだマシだが洗濯は漂白剤と洗剤を間違えて何度も白い服をピンク色に
染められたことがある。 干した後も靴下などはいつも片方なくなっていた。
中でも一番下手なのが料理・・ どうすればこんなにも不味く見た目も悪く作れるのか不思議で、食べる前に嘔吐したこともあり、母の料理は苦手を通り越し恐怖だった。  僕が母と一緒に暮らすようになったのは小学三年生の頃からで心配していたのが、料理だった。 この母からまともな料理を食べたことがない。例えばカレー、野菜と肉を炒

          野に、咲く。6

          野に、咲く。第五話

          野に、咲く。第五話 五月には、母の日がある。 母の日・・・ 母に感謝する日だから僕の母について書いてみよう。
母は昭和二十二年、長崎県の南部の方で五人姉妹の三女として生まれる。
幼少期から、早朝から草取りや家事、学校が終われば一目散へ家に帰り家事、牛の世話、農作業と両親からは、しこたま働かされた。
牛の飼料を作る際に誤って右手の小指を切り第一関節がない。 他の姉や妹たちも同様に働かされたみたいで伯母たちには散々苦労話を聞かされた。地獄のような日々に遊ぶ暇もなかったのだろうと僕

          野に、咲く。第五話

          野に、咲く。第四話

          野に、咲く。    第四話

前回のあらすじ
 小学一年生になった僕は、通学途中の堤でA4サイズの牛カエルをつかまえ、ランドセルに入れて

登校。 牛カエルの存在をわすれてしまい 給食、昼休みを楽しんだ後、五時限目で
事件が起きる‥


教室には独特の音がある。 机と机が当たる音や床と椅子の擦れる音、生徒の話し声や

廊下を走る音。 先生の登場で静寂となり授業が始まった。 

お昼からの算数はほんとに眠くなる。 算数が苦手だった僕はウトウトしだし催眠術にかかった

ように目を

          野に、咲く。第四話

          野に、咲く。第三話

          小学校は福岡の小学校に入学した僕は、何もかもが新しい生活。

離島の幼稚園の卒園式には出席できず、みんなともお別れは言えなかった。

この時、両親は離婚し僕は寺ではなく母と姉と3人で福岡へ移住、

母と姉はアパートで暮らし、僕は学童保育の延長のような施設に入った。

入学式も終わり学校生活が始まる、小さい体の僕はランドセルの教科書が重くて仕方なく

きつかったのを覚えている。 施設から小学校は近かったが、裏山を通りわざと遠回りして

通学していた。 途中に堤があり朝からおどろ

          野に、咲く。第三話

          野に、咲く。

          第二話 
朝起きる 「おはよう」 これがいわゆる普通の朝だ。

僕の幼少期の朝は少し違う  「生きてた!」で始まる。


お寺に預けられてたはずの僕は3、4歳になるころには寺に帰らず公園の遊具、漁港の船

神社などで野宿していた。

スケジュールは朝、寺から保育園(幼稚園)に登園  園での課程を終えた僕は

まずは父、母、姉がいるアパートへ行くが鍵がかかていて入れない。

玄関横の小窓から母が一言「お寺に帰りなさい」だ。


お寺に帰れば、おやつをいただき同年代のお寺

          野に、咲く。