夫のやさしさの理由

夫はいつもやさしい。

そのやさしさに気づいたときに、泣きたくなるほどに。


ある平日、お茶会をした帰りに、美術館に寄っていると、気づけば、夫・ぺこりんが家に帰ってくる時間を過ぎていた。そんなに遅くなると思っていなかったから、夕飯の準備はしてこなかった。

「ごめん、遅くなるよ」と連絡した。

「カレーを作ろうかな」とぺこりんから返信が来た。

仕事をして疲れて帰ってくるぺこりんに、ごはんまでつくってもらうということが、申し訳なくて仕方なかった。

でも、家の扉を開くと、ご機嫌のぺこりんがそこにいた。

ぺこりんは、カレーをつくっている手を止めて、パタパタと走ってくる。
笑顔で「おかえり」と私に言うために。

なんでそんなにご機嫌なの?と尋ねると、

「一度"おかえり"をしてみたかったの!いつもただいまを言う側だから。」

とぺこりんは楽しそうに言う。


別の日、友人と会った帰りに、電車が止まってしまったことがあった。

その日は雨が降っていた。

スマホの充電が残りわずかしかなかったから、私はあわてて電車が止まったこと、帰りが遅くなること、そして傘は持っているから、心配せずに先に寝ていていいよと伝えた。

駅から歩いて帰っているとき、家の近くの交差点で、ぺこりんのシルエットによく似た人がいた。でも、私がその交差点に近づくと、そのシルエットは遠ざかっていく。
その人影は、私の家に入っていった。
やっぱり、ぺこりんだった。

ぺこりんは、歩いている人が私じゃなかった場合、夜中に待ち伏せしている人がいたら怖いだろうと思って、家の中に入ったらしい。

雨に濡れただろうから、シャワー浴びておいで、といわれるがまま私はシャワーを浴びた。

いつから待っていたのだろう。

傘もささずに、道路に出ていたぺこりんのほうが雨に濡れたはずだ。

それなのに、ぺこりんは、何の文句も言わず、ただ「ももが無事に帰ってこれてよかった」とだけ言って、先にシャワーを浴びさせてくれたのだ。


ぺこりんのやさしいエピソードは、いくらでもある。


これは、私がイタリアへ留学していた年の12月に、ぺこりんが持ってきてくれた荷物の一部だ(後ろの米袋も含めて)。
このほかに、タオルケットが好きな私のために、タオルケットと、寒がりな私のためにもこもこパーカーともこもこジャージともこもこスリッパもくれた。

米だけでも15kgくらいあった。

このとき、彼は修士2年生だった。
修士2年生の12月に来てくれた、ということは、修論執筆の真っ最中で、しかも、学生だから当然お金もなく、イタリアに来るためにはバイトもたくさんしなければいけなかった。

いま私は社会人になってから、修士をやり直しているところだけど、修士論文の提出1ヶ月前に海外に行くなんて、本当に信じ難い。

それでも、彼はなんの弱音も吐かずに、むしろ弱音を吐きまくる私をたくさん励ましてくれた。


今年の春から一緒に暮らし始めた私たちだが、暮らし始めてからひと月くらいの頃、私は不慣れな家事をこなすことで、いっぱいいっぱいになっていた。

仕事もしていないのに、家事だけで疲れてしまう自分が情けなかった。

世の中には、家事だけでなく、仕事や育児をしている女性たちがたくさんいるのに。比べたって仕方がないのはわかっているけれど、比べて勝手に落ち込んでいた。

ある夜、不安が眠る前に襲ってきて、私は、ぺこりんのお荷物になってしまうかもしれない、ずっと迷惑をかけつづけてしまうかもしれない、と言った。
そんなこと言われたって困るよね、と思いながら。つい不安が口から出てしまっていた。

だけど、ぺこりんは、そんなネガティブな私の言葉にも全然動じなかった。

「大丈夫、大丈夫」と言って、私の頭をポンポンとする。

「いまは、ぼくがももを安心させるときだから。
きっと、心から安心できたら、ももは何でもできるようになるよ。」

そう言われたら、なんだか何でもできるような気がしてきて、その夜は久しぶりにぐっすりと眠れた。


どうして、こんなにも夫はやさしいのだろうと、私は不思議でたまらない。

書きやすいエピソードを抜き出してみたけれど、毎日この調子なのだ。

こんなにやさしい人が存在してよいのか、私は何か幻覚を見せられているんじゃないか、とすら思う。


まだ新婚だから一緒に暮らし始めてからの期間は短いけれど、夫とは出会って10年以上経っているし、付き合ってからも8年が過ぎた。

それでも、全然ボロが出ない。
夫は、ずっと、ずっと、やさしい。

なんでだろう、とその理由を考えてみた。

映画『パラサイト 半地下の家族』で、貧乏な男が「(裕福な家庭の)奥様は金持ちなのに純粋だ」と語るのに対して、その妻が「金持ちだから純粋なんだ」と訂正する場面がある。

その映画を見たとき、なるほど、と思った。
なぜなら、私の家はあまり裕福ではなく、私自身も純粋とは言い難く、ひねくれている。映画の台詞を聞いて、私が純粋になれないのは、環境のせいか、と少し安心してしまうところもあった。

しかし、隣でこの映画を観ていた夫を見て、いや、それは言い訳だ、とすぐに考え直した。

夫は、裕福な家で育ったわけではない。
夫は、多額の借金(奨学金)を、物理学の研究者になって返済している。
夫の家の状況について詳細を話すことは控えるが、夫の語る実家での思い出はほとんど苦労話だ。私のほうがはるかに甘やかされてきた。

環境が与える影響は否定しない。
だけど、環境ですべてが決まるとも思えない。


それなら、どうして夫はやさしくいられるのだろう。

考えてもわからないから、私は直接夫に尋ねた。

はじめは、「別に、やさしくないよ。普通だよ。」と言っていた夫だが、
質問を「どうしてやさしいの?」から「どうして私にやさしくしてくれるの?」に変えると、ようやく答えてくれた。

“ももがぼくのことを好きになってくれたときに、ずっとこの子を大事にしようって決めたからだよ。”


キュンやズギュンを通り越して、私はストンと納得した。


「どうしてやさしいのか」の答えが、「そうすることに決めたから」というのは、あまり面白みのない回答かもしれない。

だけど、私はその言葉にすごく安心したのだ。

夫がそう決めたのなら、夫はずっとこれからもやさしいのだろう、そう信じられる。

夫の言葉を信じられるのは、夫の言葉に説得力があるから。
夫が、決めたことを守る人だということを、8年間、いや10年間かけて証明しつづけてくれたからだ。

やさしい、というとふわふわと掴みどころがないイメージがあるけれど、たぶんやさしさってそんなやわなものじゃない。

やさしさって、意志なんだと思う。
固い意志。揺るがないもの。説得力。

C'est le temps que tu as perdu pour ta rose qui fait ta rose si importante.
君のバラをかけがえのないものにしたのは、君がバラのために注いだ時間なんだよ。(拙訳)

 Antoine de Saint-Exupéry, Le Petit Prince,  Paris, 1946, p. 72.

夫は、時間をかけて、やさしさを示しつづけてくれた。

夫は見返りを求めてやさしくしてくれるわけじゃない。

大事にする、そう決めたから、夫はきっとこれからも私を大事にしつづけてくれる。
根拠は、夫が私に注いでくれた10年間だ。



私も、いつか夫がくれた分のやさしさを返そう、そう思いつづけてきたけれど、いつかまとめてかえすことなんてきっとできない。

夫が私にくれたやさしさはあまりにも大きいし、夫はこれからもやさしさを積み重ねていってくれるだろうから。

だけど、私は、夫を追い越せなくても、追いつかなくてもいい。
ただ、追いかけていけたらいい。

今の私はそう思っている。


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