日記に書いていること
お疲れ様です。月島のんです。
実は、ここ2カ月はまるまる日記を書いていません。
一度、溜めてしまうと書きづらくなってしまって、書けなくなりました。
日記に対して色々と思うことがあります。
私は大学ノートに日記をつけていて、今使用しているノートで17冊目になります。
そうすると、17冊もの日記をどこに保管するのかという問題が生じるんです。
日記だなんて人様には見せられないもの。となると、なぜ人に見られては困るものを残しておくのだろう、という疑問が生まれるわけです。
日記には私の本音がたくさん詰まっています。ここにある本音は口に出せない本音もあります。本音とは違うことを口に出したりするのは、そうすればうまくこの世で生き残れると考えるから。
もしも、それらの口では言えない本音を関係のある人に読まれたらどうなるのでしょう。日記を書いたとしてその後のことはどうなるのでしょう。
そう思うと日記ほど後先のことを考えていないものはないと思いました。
SNSもそうです。SNSに関しては定期的に考えてきたことではあります。
たとえばインスタならば、私の世代の人の多くがストーリーで体験したことを報告し、またアーカイブとしてそれらのストーリーを記録として残しています。
また、鍵垢にして限られた人だけに公開している関係なしに、顔写真を載せているのを見かけます。
さて、その後はどうするのでしょう。社会人になって、結婚したとして、子どもができたとして、それらは見られてもよいものなのでしょうか。
あとで消せるからいい。本当にそうなのでしょうか。疑問です。
noteもそうです。私が今まで書いてきたことでも、知り合いには読まれたくない記事もあります。それなのに、なぜ書くのか。
そうですよね。私も書きながら矛盾していると思います。
やはり承認欲求には抗えないものなのか。それとも別の何かに原因があるのか。
日記に関しては最近解決策を見つけました。
母が朝ドラ『虎に翼』を見ており、たまたま私も見たときがありました。全く内容を知らない状態で見ましたが、主人公の家で家宅捜査が行われた回でした。
そのときに、主人公の母が奥の部屋でこっそり日記を書きます。細かいセリフは忘れましたが「忘れずに書いておかなくては。今日のことは絶対に忘れちゃいけない」というようなことを言っていました。
私はこれを見て、これだと思いました。何も、日記に本音や感情まで書かなくてもいいのだ、と。
ただ出来事を書けばいいのではと思いました。出来事が書いてあるだけでも、人間読めばその時の心情まで思い出すことができると思います。
それに事実を忠実に書くことで、客観視することもできるし、何より自分が冷静になれる。
でもね、読み返すと感情が書いてあるほうが面白いなと思う。
人には見せれないとは思うけれど、感情もあるほうがそのときのことがいきいきと頭の中で再現されて面白い。やはり、出来事だけではそのとき自分が何を思っていたのかまで詳細に思い出すことは難しいのかもしれないな、と思います。
でもせっかくなら出来事くらいは残しておきたいなとも思う。
どうやって日記と付き合っていこうかなあ。
皆さんは、どう思いますか?
今回はここまで。読んで下さりありがとうございました。
のんびり投稿が続いていますが、これからも仲良くしてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします。
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