見積り、工程表、経費、請求書、領収書

今日の学び。

言い方の問題。

お客様に請求する際
①「2万円になります。本当だったら3万のところなんですけど…(ニコッorヘヘッ)」
②「3万円です」
③「通常でしたら三万なんですが、二万で今回は勉強させてもらいます」

この三つなら、業者は3万円欲しいなら②というべきだ。

見積の時点で
「三万円になります」
と言えばいい。

・・

お客さんとの関係性によると思うが。

①を言う事で、三万円を払ってくれる人もいると思う。
ただ、それはお客さんからしたら印象は良くないと、僕は思う。
ケースバイケースではあるけれど、
僕のお客様はそれは快く思わないと思う。

もし僕が①を言いながら、二万円の支払いをお客様が支払った場合、
「次も宜しくお願いします」
とこちら側が言うは、心の中では
「今回は安くサービスしたから次も仕事をください(仕事が欲しい)」
というのが本心、計算だと思う。

けれど、お客さんからすれば、
「最初の見積もりで3万円と言っていなかったのに、支払う前になってから「本当はこれは3万円の仕事なんですけど、今回はサービスで2万円でしていますよ」と言われても気持ち良くない」
と思うと僕は考える。

そうやって営業や、種まきのような営業をしてきた人。
仕事の仕方をしている人は、僕は続いていかないと思う。

「今まではそれが通用したのかもしれない」
ではない。

僕のお客さんは、そういう言い方では快く思わない人と付き合っていきたい。

僕は、がめつく、ケチ臭く、一円でも値切ってやろう、一円でも払いたくないと考えてこちらを見てくる人はいらない。

誰だって安い方が良い。安いに越したことはないと思う。
けれど、相場や常識がある。
人をタダで使おう、ガキの使いみたいに、学生のアルバイトを雇うみたいに僕に依頼や僕を使おうとする奴は拒否する。

・・

だから
お客さんが何を最優先にしているのかを正しく理解する必要がある。

「一円でも安くしたい」
と言う人は、基本的に僕に依頼してこなくていい。
僕は自分を安売りして、必死になって仕事や作業に入りたくない。

「お金はちゃんと払うから、きっちりと仕事をして欲しい」
というお客さんだけを僕は相手にしたい。

それは綺麗ごとと言うのか、現実はそれで成り立つわけではない。
会社や事業を立ち上げても、ほとんどの会社や事業者は数年か十数年したらほとんどが開店休業状態になったり閉業する。
それを多くの人は実感が無いから解かっていない。
多くの雇われている人たちは、僕もそうだった。
わかっていない。

・・

単価を下げて、それで客が逃げるなら、仕方がないと今の僕は思う。

それは

提供するサービスや商品の価格が、消費者や依頼主から見て、見合うか見合わないかの問題だと思う。

・・

一万円でも客が高いと思えば、その客は買わない。
一万円でもそれに見合うだけの価値があると思えば対価(報酬)は払うと思う。

デフレの中でも、高級な飲食店が成り立つのはそこに価値(付加価値・ブランディング)があるからだ。
相場と言うものがある。
日常生活で食べる日ルゴやんの定食屋さんに一万円のメニューがあっても誰も注文しない。
けれどデートや特別な日のランチなら、一万円のコースやメニューがある店を選ぶ。

定食屋の店主が
「原材料もかかるし経費もかかるから薄利で苦しい」
というのは、薄利でしか客が来ない商品やサービスを提供しているからだ。
それが悪いと言う話ではない。
店のコンセプトや、定食屋には定食屋の相場がある。ニーズ、客層の事。

僕は今の仕事を始めた頃、見積もりを見誤る時はあった。今でも初めてする仕事や業務内容の時は間違える時もある。
でも、何回か見積もりを作って、自分で作業に入って、完了させてお客様に提供・報告する。そこで嬉しい声を貰える時もあれば、悲しい反応の時もある。
ただ僕は見積もりを出して完了後にお客様が料金について、納得した上で「安い」と言ってもらえる事が多い。

これは僕のしている仕事や、お客さんが「良い」という訳でも無い。
僕には僕のやり方を理解して、僕を買ってくれている人がいる。
僕の人間性や、不器用さや、結果的に最高の答えにならなくても最善を尽くすために必死にあたふたしながらでもしている姿を買ってもらっていたのだと思った。

これは決して良い事ではない。

最高の答えを出す。

僕(提供者・供給者)とお客様(発注者・需要者)が、
お互いに納得して
円満に、どちらかが不利益や損をする形にならないようにしなければならない。
仕事は慈善事業ではない。
慈善事業が出来るだけの余裕や余力があるなら別にいいけれど、僕はそういう家でも人間でもない。

僕は金持ちじゃない。大家でも無ければ、実家が代々由緒ある家柄や資産家でもない。

これからは
「良い人業」で自分で自分の首を絞めるような仕事はもうしたくない。

・・

男女の話。

僕は一緒に苦楽を共にしてくれる人と一緒に生きていたい。

自分は楽したい。
遊んで暮らしたいとは言わないけど、やっぱり働きたくない。
自己顕示欲や承認欲求で金使いやブランド物を身の丈に合わないものを欲しがる人。自分の姿や人からの評価が見えていない人。

そういう人は、僕の友達にもいらない。

自分の姿が完璧に、完全に見えている人なんていない。

ただ、あからさま、あきらかに、度合いがある。
物事には何でも度合いがあるからね。

僕は、僕の言葉で言うと
「痛々しい人」
「勘違いが過ぎる人」
「いつも上滑り、変わら回っているばかりでそれに気が付いていない人」
とは距離を取ろうと思う。

最近、それも人の意見には左右されたくないなと思う。

僕が死にかけた時、僕に
「僕の前で死にたいとか言わんといて」
と言った、祭り親父がいる。

僕は今ならハッキリ言える。

お前が毎回軽いノリで遊びや飲み会に誘ってくることに僕が精神的にも生活面でも苦しい中で僕がバランスが取れなくなった僕の問題ではあるけど、そもそもお前のその適当なペラペラの言動が僕は嫌いなんだよ、って。

だから、今の僕はハッキリと断る。

「すみません、いけないです」
「ちょっと仕事(家の事)があって、その時間は無理なんですよ」

とハッキリ言って断る。

それでも

「ええーいいじゃーん」
「ちょっとだけでも、ちょっとだけでもさ」

と言って、軽く、かるーく、適当な発言で結果的に僕の心を土足で踏み荒らしていたのはお前だ。と僕は言いたいけれど、僕も悪かったなと今は理解しています。

お互いにゴメンナサイが言えたらいいけど、ま、他人だから、もう関係ないか。

では、今日はおやすみなさい。

・・

あ、そういえば僕の地元にある世界的大企業があるんだけど。
そこに務めている人は、優秀な方もいれば、僕から見て、相手にしないような人たちもいるんです。

優秀な研究者の方もいれば、営業マンの方、経営者の人も当然才能ある努力の方だと思います。
いろんな人がいるんですけど。
その企業がある地域、会社の周りはパチンコ屋と飲み屋と、いわゆる田舎者やマイルドヤンキーが多くいます。年齢層も僕の同世代がもう中年なので、かなりの小汚い下品な連中が多いです。

でも、そこの会社の社員になると、社会的な信用や給料面の一生涯の安定は保証されたようなものでもあります。

身体が元気で、健全な生活をしていればね。

休みの日にはパチンコ屋。
飲み会で昔と変わらず延々と同じ会話。
友達が居なければ夜の店。風俗。
煙草。
そこからどんどん大衆的と言うよりか、流れ作業みたいな人生を送っている人が僕の知り合いは、かなり多いです。

何が言いたいかと言うと。

どこの会社に勤めて、どんな生活をしていてもいい。
どれだけのお金や収入があって、安定や、将来の事も含めて。
その人が決めてしたいようにして生きているのだから、他人がとやかく言う事ではないのだと思いました。

ま、たまに僕の住んでいる市内の中心部や繁華街にそこの人達が出てきて相変わらず汚い飲み方や騒いで下世話な話や風俗にお金を費やして人生を送っていますけど、それはそれで、そういうものだよな、と思いました。

・・

それでは、みなさま、素敵な、幸せな、良い夢を。

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