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何で自分だけ、と思う理不尽との向き合い方

闘うだけが道ではない。向き合うというのは対峙する事であって、何も闘って白黒の決着を付けなければいけないような事も出も無い。
勝った負けたみたいな殴り合いのような、そんな血みどろのイメージで世の中やじぶんの人生を生きていこうとすると大変だと思うようになった。
現実問題は別だけど、気持ちの持ち様と言うべきだろうか。

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去年、僕の独り言録音日記は1000個を超えている。
#1074は編集が連続して、結果的に10個くらいの修正をして、未だに不完全なままになっている。

今で#1100を超えたあたりだと思う。
これはこれで良いと思うようにしている。
形はどうであれ、ナンバー(数字)は気にしていない。

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生きていると理不尽なことばかりだと思う。そう思う自分とばかり出逢う。

世の中はそんな事ばかりで、そんな事とどう向き合うかが人生の分岐点になると今の僕は思っている。

生きていても良いことが無いと思うのは、生きていても理不尽なことばかりで
「どうして俺だけ」
「なんで自分が」
と発狂したくなるような事ばかりな気がする。

そこに対して僕は
「今頃、あいつ何してんだろう」
「あいつも(あの時、きっと)こんな感じだったのかな」
と思い巡らせることで、気持ちの矛先、感情の行き場を、今は連絡が取れていない誰かへのモヤモヤと同時に、上手く泳がせている。

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二年前の夏か、その後の冬に、あいつに電話したとき
「こんな感じでお前もいたのかな、って考えたりしたんだわ」
と言葉で伝えたと思う。

僕はそれを大阪のクロスホテルの中で思い、もう十年以上、二十年以上会っていない友達の顔や日常を想像していた事を伝えた。

もしかしたらではなく、きっと。
あいつもどこかで同じような経験や、似たような境遇を過ごしていたんだなと。色々あるけど、あったけど、それを僕らは超えてきているのだと思うようにしている。

だから好きな相手としか連絡は取らないし、そこだけは線をハッキリとさせたいと思う。好きでもない人の相手や、尊敬も認める事も出来ない人の話を聞く事は相当疲れるし、短い人生を無駄に奪われる苦痛は半端ではない。

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言葉の重みについて考えると、僕は過去を清算しながら今を生きていかないと良くないと思う。そして、それに気が付いていても気が重い。

出来れば遠回りでもなく、最短でもない道を選べるようになれたら良いと思う。過不足なくと言うのは本当に難しいから。

だから、気が重いうちは言葉が軽いんだと思う。

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