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海千山千

人それぞれ感想があるのだなと思う。
思っている事が違う。
考えている事も違う。
見えている世界も違う。
考え尽くさ気(考え辿り着く先)も違う。

気持が良い想い。
それは人それぞれの想い。
重い重い世界。
繰り返される所業は無常。
繰り返すは僕らのそのそれ。

今頃きっとあの子は眠っているだろう。
今頃きっとあの子は、何をしているのだろう。
そんな事ばかりを想い生きてきた。
僕の人生は、わかっていなかったとはいえ、愛を知りたくて探したくて、それゆえに生き恥も生き様も晒す日々だったのだと思う。
自問自答しようが人間なんて世の中なんてそんなもんだ、と。
永遠少女が鳴っている。今鳴り響きだした。

・・

ザゼンボーイズの「らんど」に収録されている「八方美人」が今日は好き。
今日も好きな理由は僕がそこにいるからだけ。
向井君は安易に愛を語らない。簡単に言葉を語らない。

僕にとって12年前の「すとーりーず」と今回の「らんど」は繋がっているけど、そこには人間の12年間の諸行無常を感じている。
その言葉の言い回しもコードも何度も聴いて何度も感じて考えてきた事。
「半分空気」と言われたら僕には「KU-KI」が浮かぶ。
けれど「すとーりーず」にも半分空気があった。

自分に対してのオマージュとリスペクトを晒し続ける業の音。
チャイコフスキーがどうのこうのではない。

我の強さを感じる。向井君の我の強さを感じる。今でも生きてるっていう強烈さを考える。向井君は鋭角ではもう無いと思っている。
人生なのか物語と言えばいいのか分からないが、僕は生きるという事はこういう事だと思う。
人間は変化する。変化したりしなかったりする。
柔軟だったり偏屈だったりする。
わかっていても出来ない事がある。

僕にも個性がある。
価値観や方程式のような癖。
こうすると良い、こうしたい、こうすべき、みたいなやり方がある。
きっと誰もがそういう自分の式を持っている。
それを当てはめて生きているだけ。
そこで軋轢、あつれくことも仕方ない。

儚い故だ。夢と人生を重ねてしまうからだ。
あっという間に気が付いた。
有限な人生の中で僕らはどう生きるのか。

僕が考える「らんど」は、ナンバーガールと共に生き、向井君の言葉に感化され、影響を受けて、それを返そうとしてもがいた今に続いている。

このフレーズ、聞いたことあるな。
この言葉、言い回し、らしいな。
これナンバーガールで、あの時に使ってなかったか。

変化していく事。
生き様と言うのか、そんな僕らの夜にも昼にも僕の世界には僕しかいないのだ。
あれ、最後変になったな。w

デジャブじゃないんだ。
僕も生きているから、僕は僕の世界で息しながら、ナンバーガールと向井君たちとまた違った道を歩きながら、己の運命にあらがって生きていく。

愛を知ってからと言われても、愛を知っているのかと問い返す事もしない。
僕は今は楽しむ人生。
酸いも甘いも、かみしめるのだ。
複雑だろうが群像しようが、それを僕は噛みし、抱く。

そして僕は強く思う。

好きに生きろと。

僕は僕を守る。
大切な人を守る。
大切な人を守り、大好きな人の生きる道を支える。
自分の幸せを守る。その為に大切な人たちとの付き合い方も考える。
「らんど」でそれが謳われている気が、僕はしている。

人間なんてそんなもんだ。

・・

最近、信仰が無い人は辛くなった時に死を意識すると聞いた。
自死は神から見て罪であると。
そういう信じる力が僕らを生かすのは解っている。
ただ僕は「人間なんてそんなもんだ」と言ってのける方が今は性に合う。
僕は運命を解かっているから疑わない。信じているよりも強い心がある。
けれど、それでもどうしようもない時は、
「そんなもんだ」
と言い切れるようになろうと思う。

それは僕の愛する人や愛してくれた人たちに対して、今日の僕の答え。

僕らが旅に出る理由の過程には
旅の恥は掻き捨てという言葉がある。
人生色々あるけれど、超えていいのかよくないのか、線を意識しよう。
世の中は生きる事は線だらけだ。
海千山千だ。


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