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でも永遠なんてものはあるのだろうか

一年が過ぎた。
色々あったがあっと言う間に一年くらいが過ぎた。

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自分一人では非力だ。無力を突きつけられた時。そんな時。
「もう諦めよう、もう辞めよう」と、ギリギリになっていると
神様や尊敬する大好きな先人たちが
僕に手を差し伸べてアドバイスをしてきてくれた。

でもそれは僕の力ではない。それは結果的に上手くいっただけで、それは僕の実力や経験値が挙がっている訳ではない。

今も仕事の依頼や相談を頂いているが、ほとんどが僕の地力の営業や実力だけでつかみ取った仕事や金ではない。正直に僕はまだ無力で非力だ。

これからは今はまだ助けられ救われているけど、遠くない未来、その方々も引退をされたり、後継ぎに席を譲る時が必ず来る。
その時に僕がどこまで強くなって力をつけているかが問題だ。

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あの子の夢を見る。これは僕の主観。

あの子は自分では何一つ何もできない。金も稼げない。外に出る事すらできない。病気を理由に自分が出来ない事を主張するだけ。世の中の大人は、例えどんな理由や病気や辛い理由があろうと社会の中で生きている。
彼女は僕に「メンヘラおばさんになるだけだよ」と言われてから何かが変わったと言うが、本当に変わったのなら行動に移すべきだ。

自分では何も出来ない、外に一歩も出れない。
社会の人との交流も出来ない、ようは人間としての営みが行えないのなら、僕らの間で起きていることについて話が着地するように誰かの助言や手助けを得て動けばいいと僕は思う。

僕が見た夢の中で、彼女は僕からの手紙も一度もまともに読んだこともなく、贈り物も自分に都合が悪い事実が書かれて、家族に自分のしている事がばれるのが嫌でごみ箱に捨て、それを追求されてもぶぜんとした態度で開き直ることもなく、何も私は知らなかったと言い切る姿だった。

今回僕の贈り物の中には僕が自殺したときの診断書。金が無いから何も出来ないというのならと一万円。もう何年も携帯がずっと壊れたままと言うので、中古の携帯電話。あとは家族でまた食べればいいと果物を入れた。

それは彼女にとってはどれも自分にとっては都合の悪いものばかり。

それをどうしたのか知らないけど返事すらできない。動けない。
僕が彼女の手を封じたように聞こえるかもしれないが、僕は何年も僕は手紙にも贈り物にも、すべてに僕の想いを言葉にして込めて書いていた。
それこそ貰うものだけ都合よく受け取って、僕が何もしてこない事に余裕や高を括っていたから、いざ その時が来た時に引き篭もって籠城して閉口するだけしか動けないのは事実ではないのか。
それを応えろ、お前の家族にしか俺は用が無い。お前では話にならないから、お前はどけ、と。僕は「僕」から「俺」に変わっているのだ。

「高を括る」とはその程度だと見くびること。

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僕はこれ以上、これから、今繋がっている、今一緒にいる大切な人たちと「出会いと別れ」という言葉で成長したくない。

ワガママで子供じみたことをまだ今でも言っているのは解かっている。

でももう「別れ」はいらない。それ以外で僕は強くなる。

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