活字の海に溺れたいと思っていたのに今の私は映像を見ている。という話
寝る準備を万全にし、布団をかぶった時が私の至福の時間なのです
一日の中で一番好きな時間は何ですか?
と私が聞かれたら、そこに対する返答は間違いなくこう答えます。
寝る直前の布団をかぶってからの時間です。
と。
もう少し細かく説明するのであれば、
後は寝るだけ。という状態にして布団をかぶるがすぐに寝る訳ではなく、
睡魔が来るまで布団の中で他のことをしている時間
が私は好きです。
そしてその時間に私がしていることがまさしく、
活字の海に溺れる
なのです。
ー本題に入る前に少し言い訳の時間ー
これから先は寝る直前にスマホの画面を長時間見ている人間の話がなされますが、睡眠や視力に悪いことは重々承知の上でございます!
なんだったら私は寝つきが悪いタイプの人間ですゆえ、こんなことをしていたら逆効果なのも承知の上!
長年の付き合いの中で、何もせずに長時間苦行のように目をつぶっているよりは、自分の好きなことをして眠気を待つ、それで朝を迎えてしまおうとも自己責任。というようなスタンスですので、そこをご理解いただければと思います。
言い訳タイム終了
活字の海に溺れることこそ幸せ
つまり、
私の一日の中での至福の時間、これが寝る前の布団をかぶった時間であり、
その時間にしている「活字の海に溺れること」こそ、私の幸せな時間なのです。
実際に何をしているかというと、主にTwitterなどでの二次創作の小説を読んでいます。
世の中にはこんな天才が数多くいるのか!と、
書き手の方々、生まれてきてくれてありがとう。
という感謝を胸に抱きながら、たまに声としてこぼれてしまいながら、毎日読み漁っております。
スマートフォンという小さい画面の中で繰り広げられる大きな世界の物語を、自分の一日が終わろうとしている場面で体験する
ということがとても幸せで、あと一話、もう一話だけ…となりながら眠りについた日も少なくありません。
今の私は映像で一日を終えている
そんな一日の終わり方を過ごすようになってから早何年。
今の私は活字で一日を終える日が少なく、映像で一日を終えています。
…なんで??
これ、自分でもびっくりしているんです。
最近、布団に入った最初の方は確かにTwitterを開いているんですけど、いつの間にかYouTubeを見ている自分がいます。
こうした変化になったのはつい最近の話です。
なぜ私がこの変化に驚いているのかという話を少しさせてください。
私は人によってタイプがあると思っていて、文章派か映像派かもそのタイプだと思っています。
つまり、文章に強いか映像に強いか。という違いです。
そうした時に私は根っからの文章派だと思っています。
元々小説が好きというところもあるかもしれませんが、
例えば、原作がある映像作品で気になったものがあった場合、原作を読んで満足するタイプです。
スマホのスクリーンタイムを見ると、映像系に費やした時間よりも、文章系に費やした時間の方が何倍もあるタイプです。
一方で私には弟がいるのですが、彼は映像派だと思います。
本当に一生、YouTube見てるし。
ドラマや映画といった映像作品を好み、そうした映像作品に対する知識は私の何倍もあります。
そして恐らく知識の吸収も映像からの方が強いらしく、本を読んでいる姿は見かけませんが、映像から様々な知識を吸収している姿はよく見かけます。
というように、私はどちらかというと映像よりも文章優位なタイプだと思っていたので、暇を持て余した時に手に取るものは文章でした。
そんな私が!
今は映像をとっている!!
いや~、驚きでした。
何故この変化が起きたのか考えてみる
どうしてこのような変化が起きたのでしょうか、少し考えてみました。
そして今の私が出した結論は
文章と映像だと、コンテンツの与えられ方が少し違うのではないか。ということです。
つまり
文章ベースのコンテンツは自分が積極的に
映像ベースのコンテンツは自分が受動的に
物事を享受しているという結論です。
言われてみたらその通りなんですけど、
文章ベースのコンテンツだと自分が読むぞ!という意思を持って自分から読むという行為をしてコンテンツを受け取ると思います。
一方で映像ベースのコンテンツだと、自分の意志で一時停止は出来るものの、基本的にはコンテンツが主導となって自分に届けに来てくれます。
この違いが文章コンテンツと映像コンテンツにはあると考えています。
じゃあつまり今の私はなんなのか
なぜ私は眠る直前のコンテンツを自分でも気が付かない間に映像にしているのでしょうか。
正直なところ、この問いに関しての結論は今の私には分かりません。
ただ、眠る直前以外の時間帯では、今も普通に文章ベースのコンテンツにふれる時間の方が長いのです。
そうしたとこから考えると
眠る前のコンテンツとして文章が重たいと感じて来た
そうした変化なのかな。というところです。
良いように考えるとですよ!
良いように考えると、寝つきが良くなってきて布団に入ってから眠りまでの時間が短くなってきたからそうした状態でのコンテンツの享受は自分が受動的な方が効率が良く、そうした変化が映像へとシフトした。
と考えることが出来ます。
ただ、悪いように考えるのであれば、
コンテンツの吸収、知識の吸収という点においての自分の熱意だったり、労力が前のようになく、そのために自分が積極的になる文章を遠ざけている。
というように考えることもできるでしょう。
もちろん、コンテンツとして文章と映像のどちらの方が優れている、劣っている、というように考えている訳ではありません。
どちらも適材適所がありますし、文章でしか、映像でしかできない、伝えられないことはそれぞれ数多くあります。
だからこそ、今の私は映像コンテンツからの知識や興味の吸収をしている時期なのだ。と自分の中でも新しい発見が得られた自分の変化でした。
今回は活字と映像、そんな思考について記してみました。