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友達は私のどこにメリットを感じて付き合ってくれているのだろうか。と考えてしまう話

「友達」との関係性って長くなればなるほど複雑

どこかに行ったり、何かをしたり、あるいは日常的にLINEをしてみたり。
何かをするときにその相手が友達であることは私はとても多いです。
こんな私と付き合ってくれてありがたいな。とそのたびに思っています。

今回はそんな「友達」という概念について私が少し嫌な考えをしてしまった思考を記していきたいと思います。

友達と一括りにいっても、一緒に過ごした年月によってその言葉が持つ意味って少し違うんじゃないかと考えました。
友達期間が短いと、例えば「その子のことが好き」という感情だけで過ごせていたものが、時間がたつにつ入れてその子のいい部分も悪い部分も見えてきて、「好き」という感情だけじゃ過ごせないよな。と感じたのです。

私は何でこんな風に感じたのでしょうか。

私の中での優先事項、”時間を守る”

私には大切な友達がいます。その子のことを友達Aとしましょう。
友達Aとの付き合いはそろそろ二桁に行くくらいの付き合いをしています。
初めて会った時に、「この子とめっちゃ合うな」と感じて、好きになりました。そこから少し時間が経つと、考え方や物事の捉え方が私と同じ、似ているな。と感じることが多くあり、友達Aとの関係はとても良いものになりました。

けれども最近、私との約束に立て続けに遅刻をしてきました。私への連絡はなくです。私は友達を含め、約束の時間に遅れるということをしないように細心の注意を払っています。

あ、もちろん相手が電車の遅延で遅れるとかそういう不慮の自体は別問題です。それは災難だったなと思うし、私のことは気にせずゆっくり来てくれと思います。

あくまで私の性格の問題ですが、約束の15分前には待ち合わせの駅にいたいし、遅くとも5分前までには待ち合わせ場所にいたいタイプです。
もし遅れる可能性が出た場合、それが分かった時点で相手に連絡を入れないとドキドキする性分なのが私です。

と、このように友達Aと私の間には「時間に関する捉え方」が明らかに違うということが判明しました。

約束の時間10分前には会えてしまう友達Bという存在

一方で私には付き合いが15年に及ぶ友達Bがいます。
恐らく友達Bが今も頻繁に会ったり、やり取りをする友達歴が最長の人物です。その子とこんな話をしました。

12時ハチ公前集合で12時に渋谷駅に着くのはどう思うか。

友達Bは私にこんな質問をしてきました。
なので私はこう答えたのです。

それが許されるのは12時渋谷駅集合の時だ。と。

友達Bも私と同じ考えでした。
12時にハチ公前集合なんだから、いくら同じ渋谷駅に12時に着いていたとしても、それは違うと思う。と言っていました。

細か!と思う方もいるかもしれません。
ただ、私と友達Bは時間の約束というものに対しては同じ認識で動いていることが分かりました。

補足しておくと、我々二人は、私たちがこういう認識で待ち合わせをしているんだから、相手方もこの認識に合わせろよ!遅刻するなよ!と思っているのではなく、一言連絡が欲しいよね。というスタンスです。
時間に遅れることが分かった時点で連絡をくれれば何とも思わないし、5分だろうと30分だろうと時間はつぶすよ、ゆっくりおいで。となります。

と、このように私と友達Bは時間に関する考え方が同じだし、友達ゴトの中で時間に関する優先度、重要視具合が上位に入っていることも共通していることが分かりました。

ただ、この流れで私は友達Aと、「友達」を辞める。という気はありません。なぜなら、話をしている中で友達Aと私の考え方が合うから、話が合うから。

つまり、私は友達Aとの付き合いの中で、「時間の守り方」という私からしたら嫌だと感じる部分を差し置いても、話が合う、考え方が同じといういい部分の方が魅力に感じ、いいな。と思うから友達だし、これからも友達でいたいと思うのだと思います。

魅力に感じる部分が強いから、友達なのか

タイトルにした”メリット”という言葉、そしてデメリットという言葉。この言葉を使うとすごく攻撃的な感じがしてしまうので良くないですね。
良い部分嫌な部分としましょう。

つまり友達にはそれぞれ(自分が相手に感じる)いい部分と嫌な部分が存在していて、その嫌な部分をいい部分が魅力として上回っているから友達なんだし、これからも友達である。

と私は考えました。
けれども、これは私も友達から思われていることなんだと思います。

じゃあ、友達は一体私のどこにいい部分を感じ、どこに嫌な部分を感じているのか。それがとても気になったのです。そして、これは人によるものになると思います。

ある人からは魅力的に思ってもらえている私の部分も、またある人からは最悪だと嫌悪されている部分になっている。
そして自分のいいと思う価値観、悪いと思う価値観、そうした価値観によって自分の友人関係が構築されているのだと思います。
類は友を呼ぶ的な。

これからも私と友達をやっていきたいと感じてもらえるように、嫌な部分を一つでも無くしていい部分を増やしていきたいし、今友達に感じてもらえているいい部分をもっと伸ばせるようにしていきたい。と感じる今日この頃です。

今回はこうした自分と友達についての思考を記してみました。