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SNSのゴールって一体どこなんだろう。という話

SNSの使い方って当たり前だけどひとそれぞれ

現代を生きている多くの人は多かれ少なかれSNSというものに触れて生きているのではないでしょうか。もはやSNSが当たり前。みたいな距離感になっているように感じます。

特に私は学生の時からSNSが一世を風靡していたので、InstagramやTwitterは当たり前にみんながやっていたし、そうしたものが友達とのコミュニケーションツールだったり関係を構築する時に使われていました。

でもある時私は気が付いたのです。
SNSの使い方、つまり、SNSのゴールは人によって違っているということに。

「イイね」という存在感の強いヤツ

SNSを使っていると感じますが、こいつらは嫌でも人の目にふれるじゃないですか。
例えば、Twitterの壁打ち垢とかInstagramで鍵垢で自分しか見れないようにするとか。そうした意図的に「自分だけ」の状況を作り上げることはできます。
けど、SNSがこれほどまでに普及・発展した要因や売りは「繋がる」という部分にあるんじゃないかと思います。

だからこそ、多くのSNSにはフォロー・フォロワーという概念があるように思えるし、どのSNSの媒体でも見ることが出来る人をこちらから選ぶことは出来ても、「SNS」と「私」と「人のつながり」みたいなのを切ることは出来ないんじゃないでしょうか。

で、ここで私が存在感を感じたのは「イイね」という機能の存在なんです。

今私がコンテンツを書いているこのnoteにもイイねの機能があると思います。
(私のnoteにイイねをつけてくださったことがある方、本当にありがとうございます。イイねの通知を見ると泣いてます)

これってすごい機能だな。と思っていて、例えば自分の顔見知りの人に「イイね」をつけることは割と多くの人がやっている行為だと思います。そしてそこには文字通り、心で思ったイイねを相手に伝えることが出来ます。そして例えば見ず知らずの人、フォロー外の人の投稿にイイねをつける行為はもっといろんな意味が含まれているように感じます。「あなたの才能素晴らしいね!」とか、「すごい感動した!」とか「役に立つこの知識ありがとう!」とか他にももっといろんなイイねの意味があると思います。

このnoteの「イイね」だってそうだと思うんです。そのイイねにはいろんな意味が含まれていて、言葉で表すといろいろな表現方法になるけれど、その全てが「イイね」という行為に含まれている。その「イイね」にはたくさんの思いが詰まっているんだと思います。

そして私は、この「イイね」の持つ力が大きいからこそSNSのゴールがいろんな形になったんじゃないかと思う時があります。

私が感じたSNSの二つのゴール

私はSNSのゴールは大きく分けて二つあるように思いました。このゴールというのは運営側の話ではなく、発信側・ユーザーの話です。もっと言うのであれば、このゴールというのは自分がSNSで投稿・利用している時にどうしたら満足感を得られているのか。ということです。

そして私はSNSは投稿して満足なのか。投稿して「イイね」をもらうことで満足なのか。そうしたことを考えるようになりました。

ここからは分かりやすいように学生のInstagramを例にとって話してみようと思います。
そして少し極端な例、考え方の話をしますが私の語彙力不足ゆえに分かりやすく伝える方法がこれしかなかったのでご容赦いただければと思います。

多くの人は、Instagramにおいてメインに動かしている垢と裏垢があると思うんです。(少なくとも私の周りはそういう使い方をしている人が多かったです)

この時メインのアカウントは鍵を開けて多くの人に公開、あるいは鍵垢にして学校の先輩後輩など、たとえ面識がなくとも自分の今のコミュニティに属していることが確認できた人を許可する。このアカウントのフォロワーは百人単位でいる。みたいなアカウントと、本当に信用している人だけフォロー許可をして、フォロワーも10人くらいしかいなくて、顔出しの投稿をしたり趣味全開な投稿をする裏垢。

みたいなやり方をしている人が一定数いました。
そして私もどちらも鍵垢でしたが、このやり方をしていましたし投稿内容も分けて使っていました。

もちろん、全てが全てこれに当てはまるなんて思っていません。いろんな使い方があると思うし、垢を分けている理由だってひとそれぞれ違いますよね。顔出しは信用している人にしか見せたくない、けど、Instagramでしか繋がっていない人もいるから垢を一つにするのは抵抗がある。とかとか。

だから全てがこれから話す内容に当てはまっているなんて思っていませんが、こう考えてしまう時があります。
例えば、投稿して満足なら裏垢だけつくって少数でまとめればよくない?と。
でもそこで感じるのは、表アカウントの数百人のフォロワーとそこに付随する「イイね」の力がそれをさせないのかな。と。

今のSNSってこの二つが自分の強力なステータスみたいなのになっているなって感じる時、ありませんか?
フォロワーが多い人が凄い、イイねが多い方がいい。確かにそれも指標の一つだと思います。
あの子はFFが多いから凄い子、あの子は少ないから関わってもいいことが無い子、人気がない子。みたいな。特に学生の時はそう感じちゃうものですよね。だから表と裏のアカウントがあって…みたいになるんだと思います。

でもこの時強く思うことがあって、イイねの数・フォロワーの数=自分の存在価値みたいなのになっちゃうのは良くないということです。

そりゃあね、嬉しいんですよ、イイねをもらえると。私も凄い嬉しいですもん。もう脳内で小躍りですよ。このnoteもイイねが凄い励みになっています。
でも、こう思っちゃうときもあって、全てのSNSにおいて「今回はイイねが少ないな」とか、「イイねが付かなかったな」とか、「自分が間違ってるんだな、やっぱ自分ダメだな」とか。
こんな風に、イイねの数にすごい振り回されている自分がいるわけですよ。

それが凄い嫌だ!!(大声)

やっぱり分かりやすい形でイイねという数が見れてしまうからこそ、比較してしまう自分がいます。それで自分が見せたいものとか、自分が感動したもののおすそ分けとか、そういう純粋な気持ちじゃなくて、これだったらイイねがもらえるぞ!とか、自分はこれに感動したけどこれだとイイねはもらえないよな。とか。
このイイねが先行したSNSの使い方は自分は嫌なんです。

誰のためのSNSにするのか

私はあなたの為のSNSというより、自分の為のSNSにしていきたいな。と思っていて。もちろん、だからこそ何でもかんでもいいなんてことはないんですよ。ちゃんとネットリテラシーとか、個人情報とかコンプラとか。そうしたSNSの基本的な使い方、マナー的な面はしっかり守るのは大前提です。

どっちの為のSNSにもしたいですが、どちらかというと比重が自分>あなたって考えたいなって。

だから私は「今の私の記録の為」のSNSにしたいなと思っています。
私の最初のnoteにも記しましたが、今、この時の私が確かにそこに存在したという記録。そうした使い方をしたいです。
たとえそれが自己満足で終わったとしても、そういう使い方をしたいんです。それにインフルエンサーでもなんでもない私の投稿なんて誰も何も思っていないんですから。

SNSのゴールって人からイイねをもらうことじゃないんだよ!と私に言いたいです。そうじゃなくて、「わたしとSNS」っていうのは記録なんだから、投稿することに意味があるでしょ。って、そこにイイねがついてくるんだよ。って。
そしたら、そんな私のSNSにイイねをつけてくれた人には本当にありがとう。って思えるし、大事にしたいという感情になれるでしょ。って。
そう思います。

SNSをやっていると「イイね」が全てで、イイねをもらうことがゴールみたいに思えちゃうけれど、私にとってのSNSのゴールは投稿することでありたい。と思います。

今回は長くなってしまいましたが、「私とSNSのゴール」についての思考を記してみました。