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その時、みーちゃん50歳。

なんだかんだとありまして、17歳の終わり、
わたしは高校生活に「さようなら」を言った。

実際のところ、ちゃんと通ったのは1年足らず。
高校側から「単位が足りませんわ」「じゃ、退学で」
ということになった。

当時の記憶はあいまいで、毎日毎日、
深海の底にひとりぼっちでいる気分だった。

高卒認定試験の存在は知っていた。
でも、きっと自分には出来っこない。
自分にはなんにも出来やしない。

すっかり自信と希望を失ったわたしには、
それは遠い世界の話だった。

ある日、ニュースが飛び込んできた。

母方の伯母であるみーちゃんが、
中卒認定に受かったらしい。

中卒認定とは、高卒認定の中学校版、
合格すると「中卒と同じ以上の学力がある」
と認められる資格だ。

母は7人姉弟の大家族で生まれ育ち、
みーちゃんとはだいぶ年が離れていた。

みーちゃんは早くから働いて家計を
助けていたと聞いていた。

その後結婚し、いつもにこにこ笑顔で
愛らしいみーちゃんは、遊びに行くと
いつも美味しい料理をふるまってくれた。

うんと年下の母と並んで歩くと、
「妹さん?」と声をかけられるほど
童顔でころころとよく笑う。

しかし、身内が困っていると聞くと
軽やかなフットワークで飛んで行き、
けれど決して押しつけがましくなく、
みんなに笑顔の回復魔法をかけ、

「ほな、帰るわな」

とコーヒーを飲み干して帰って行く。

50歳が近づいても立ち姿は凛として、
けれど大きな瞳と明るい声で笑う
みーちゃんは、姪のわたしから見ても
本当に可愛くそしてカッコいい伯母だった。

そのみーちゃんがいつの間にか中卒認定試験を
受験し、受かったらしい。

さらに聞くと中卒認定は準備運動で、
本来の目的は「調理師免許」取得だったという。

当時みーちゃんは調理の仕事をしていたけれど、
上司がどうにもこうにも現場で働く声を
聞こうともしない。

「資格を持ってるのがそんなに偉いんか」

そして、閃いた。

こっちも調理師免許保持者になったらええやん。
受験資格は実務経験と「中学卒業以上」。

みーちゃんは後者で引っかかった。
わたしならここでしばらくやさぐれる。
しかし、さすがはみーちゃん、

「ないんやったら取ればいいやん」

みーちゃんは「調理師試験」の山に上る前に
「中卒検定」の山への登山を決行。

続いて当初の目的だった山にも見事に登頂成功。
ふたつの大きな資格を手に、帰って来たのだった。

のちに、みーちゃんに聞いたことがある。

その日、わたしは親戚の集まりでひさびさに
みーちゃんといっしょの部屋で寝ていた。
思い切って、尋ねてみた。

「中卒認定、どうやった?」

みーちゃんはキュッと眉間にしわを寄せ、

「大変やったがな!英語なんか
 アルファベットのAから習うんやでぇ!」

ころころと笑いながら、ちっとも大変そうで
なかったのを覚えている。

みーちゃん、カッコええな。
わたしもいつか高卒認定、受験出来るかな。

そう思いながら、眠った。

ダブル資格取得のあと、みーちゃんはまた
やってのけた。

50歳を前に車の免許を取ったのだ。
これまた親戚一同がビビった。

ダンナさんはドライブ好きで、助手席で
楽しくお出かけをしてきたみーちゃんが
免許取得した理由はひとつ。

「外出が不自由になった両親を気兼ねなく
 遠方まで連れて行ってあげたい」

そして、初心者マークを輝かせながら、
あっという間に県外までの往復4時間近い
ドライブをやってのけた。

免許取得にかかる費用は、年令×1万円
と聞いたことがある。

みーちゃんなら、約50万円。
補習や再試験はあったんだろうか。

「大変やったがな!」とやっぱり笑ったのだろうか。
「20歳やそこらの子に混ざって習うんやでぇ!」
と、ころころと愉快に声をあげたのだろうか。

いまとなっては、分からない。

その後、わたしも無事高卒認定に合格し、
社会人の道を歩き出した先で、
ひょんなことからとてもおもしろい職場で
働くことになった。

「この毎日をみーちゃんにも聞いてほしい!」

その願いは半分叶って、半分叶わなかった。

「いまね、こんな職場で働いててね」

わたしが話しかけたみーちゃんは、
一瞬だけ大きく目を開けてくれた。

「そうかー」

いつものあの笑顔で、あの声で、
頷いてほしかったけれど、聞こえてたかな。

ふたたび目を閉じたみーちゃんの手を握って、
いろんなありがとうを言った。

寒い寒い、冬の朝だった。

3つの資格を50歳にして取得したみーちゃんに、
いろいろな話を聞いてみたかったなあと思う。

お茶を飲みながら、おやつを食べて、
みんなでみーちゃんの家でぬくぬくと過ごし、
みーちゃんがにこにこと笑うのを見てたかった。

あれから月日が流れても毎日みーちゃんの
ことを思うし、わたしの心の中に住む
みーちゃんはいつだってこぼれんばかりの笑顔だ。

びっくりするくらい、笑顔の記憶しかない。

愚痴を言うのを聞いたことがないし、
大変なことも笑い飛ばしているみーちゃんの
姿しかみんな知らない。

みーちゃんはわたしにいつもカッコいい背中を
見せてくれていた。
道しるべを立ててくれていた。

だからこの先もずっとわたしは思い出すのだ。

「その時、みーちゃんはもう50歳だった」

50歳になってもいろんなことに挑戦し、
大変なことを笑い飛ばし、やってのけた。

だいじょうぶ、きっと、だいじょうぶ。

そしていつか思うのだ。

年を重ねても頼りない自分を見て、

「あの時、みーちゃんはまだ50歳だった」

50歳という若さで、あれだけすごい人に
なれていたのか、と。

めげるな、くさるな、笑い飛ばせ。

みーちゃんは、わたしの道しるべとして
これからも存在し続けてくれる。



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