映画「マトリックス」、2作目3作目の憂鬱

スマホの入力ソフトにSimejiを使っている。

予測変換が面白いから、というのがその理由で、

例えば
「マトリックス」
と打つと、
「゚゚┌┴o゚゚゚゚°マトリックス」
に変換される。

世代的にこのポーズは、映画「マトリックス」に出てくる主人公ネオが、敵である「エージェント」が撃った弾丸を避けるために、体を高速でのけぞらせているシーンのものだ。

少しあとの世代なら、荒川静香のイナバウアーと言った方が通用する気がする。

それはさておき「マトリックス」。

とあるきっかけで人間を機械が殺してしまったことから、人間は機械を迫害する。機械は、その身の安全のために自らの自治地域「ゼロワン」を作って製品の作成及び貿易を行うが、人間よりもはるかに合理的な機械の資本主義は、人類の経済を脅かしてしまう。
結果、機械と人間は戦争となる。
当時、機械の主なエネルギー源は太陽光だったため、人間は人工の雲で地球を覆う。機械は自身のエネルギー源として、人間の発する生命力に目をつけた。死んだ人間を溶かして栄養分にし、それを生きている人間に与えて培養する。人間たちには現実と見分けのつかない夢を見させる。
その夢こそが、マトリックス。

天才ハッカーのアンダーソンは、夢と現実の見分けが付かなくなってきた日々に悩み、「モーフィアス」という人物を探している。
国税局の端末にハッキングした、と噂される「トリニティ」という女性に導かれて、モーフィアスに出会うと、「現実」で目が覚め、マトリックスの正体を知らされ、自身が予言された人類の救世主ネオであると知らされる。

1作目は、そのネオが、マトリックスというプログラムを維持するためのウィルス対策ソフトである「エージェント」と戦い、救世主として目覚めるまでの話。

この1作目は、長い裏設定のおかげで主人公たちがいかに漫画的なアクションをしようと、銃火器を惜しみなく無限に使おうと、一切矛盾を感じさせない。

そして、普通のアクション映画と異なり、敵がソフトウェアのせいか、流血表現がない。

言うなれば、汚いところが何も無い。
暴力であることを忘れさせてしまうかのようで、武力を見ているのではなく、武術の舞を見ているかのようだ。

今となってはガラケーも黒電話も公衆電話も過去のものなのに、SF映画として今も見れるのはそういう所にあるのだと思う。

ところが2作目3作目となると、まるで違う物語のようになる。

現実での人類最後の都市ザイオンは、どこから電力を取っているのか分からないのに、電気を使って船が空を飛び、防護壁が作動する。

ついでにいうと、機械側にハッキングされないのか、とも思う。

弾丸によるアクションはなりを潜め、ネオは文字通り「スーパーマン」の格好で空を飛ぶ。

人類を救うために、予言に従い、ネオはマトリックスの中枢「ソース」に向かい、マトリックスの創造主「アーキテクト」に出会う。
彼いわく、マトリックスは完璧ではなかったために、6度作り直されている。マトリックスを初期化するために、救世主の発生は元々プログラムされていたもので、彼に生き残る6人の人間を選ばせ、残りを全滅させてきた。その度に現実の人間の都市も滅ぼされる。
しかし、ネオはトリニティの危機を知り、6人のノアの方舟を選ぶとなく、ソースを後にする。

3作目では、トロイの木馬のウィルスのように、マトリックスの全てに自身をコピー出来るようになり、機械側でも制御不能となったエージェント「スミス」を滅ぼすことを条件に、ネオは機械側に人類滅亡の行動を辞めるよう提案する。
ネオは、預言者が人類側の強大な力の持ち主(ネオ)と機械側の強大な力の持ち主(スミス)を対決させ、相互に消滅させることで、機械と人間の戦争を終わらせようとしたことを悟り、スミスを自身にロード、自身が機械の神からの「DELETE」指示を受け入れ、スミスと共に消滅する。

いきなりの大友克洋の「AKIRA」みたいな展開に、ポカンとして、しかも、人類はネオが何やったか知らないから、今度は人類が、戦いを辞めた機械を殺しに行くんじゃないかと思いつつ、そういえば、あとから作った2作目3作目は蛇足、って伊坂幸太郎が書いた小説に出てくる、おばあちゃんが言ってたな、と感慨にふけった。

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