文章を書こうとすると、全てネガティブなものになる病

アウシュヴィッツにいた精神科医が、どうあがいても絶望な事態を乗り越えるのに必要なのは、希望でなくユーモアだ、みたいなことを言ったらしい。原典(フランクル「夜と霧」)読んでないけど。

で、私にユーモアのセンスがあるか、といえば、残念ながら、ない。

お笑いを見て、勉強しようかと思ったこともあるけど、そもそも笑いのセンスが普通の人と違うようで、大抵のお笑い番組を見てもしらけてしまう。

映画「ジョーカー」に出てくる主人公アーサーを思い出す。

彼は貧困と虐待の中で育つ。虐待が原因で、おかしくもないのに突然笑い出す奇病まで患っている。
あまりに「普通の人」と生育環境が違ったために、お笑いのショーを見ても笑い所が分からず、周囲に合わせて後から笑う。挙句、コメディアンではなく「嗤いもの」にされる。

私はMARVEL作品はほとんど見た事がないので、本来の「ジョーカー」の性格は分からないけれど、この作品中のアーサーは、あまりの自分の絶望を、嘲笑って生きていくことにして、殺人狂「ジョーカー」になる。それは、物語的にはバットエンドだろうけど、本人的にはハッピーエンドなんだろう。

彼を救ったのは「コメディアンになれる(かもしれない)」なんていう嘘っぱちの希望でなく、「芸術的に殺人を犯す」というユーモアだった。

昔は小説を書いていた。
読んだ人を楽しませる、辛い思いをしている人を励ます小説を書こうとしていた。
実際、「あなたの小説を読んで泣いた」「あなたの小説に救われた」と言ってくれた人も何人かいた(その人たちは友人では無いので、大袈裟なお世辞ではなかったと思いたい)。
今考えればバカバカしい、自分も救えないやつが、他人を励ますことなんかできるわけねーだろ。

その後色々あり、自分には才能がないことがありありと分かって挫折した。ユーモアがないのだ。

挫折したあとは、文章を書こうとすると、全てネガティブなものになってしまう。文章を書かなくたって、ネガティブになる。今日だって、自己紹介を書こうとしたのに、このザマだ。

ユーモア、ユーモア、ユーモア。

呼べば出てくるのか、生えてくるのか、その辺に落ちているのか。そんなわけないか。

だからと言ってアーサーのようなユーモアでは困る。自分はハッピーエンドかもしれないが、周りの人間はいい迷惑だ。

あまりに生きにくいので、心療内科に行ったが、「あなたはビョーキではないよ」と言われ、カウンセリングに行ったら「なんちゃら障害系のもないよ」と言われた。ぶっちゃけ、「なんちゃら病」という診断がついたところで生きやすくなるかと言えば、そうじゃないからあんまり意味は無いけど。
世の中そんなに甘くない。「発達障害なんですか〜。じゃあ配慮しましょうね〜」なんて話にはならない。いい大人なんだから、ちゃんと仕事して人間関係築け、って話になる。そりゃそうだ。


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