映画感想『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 はばたけ天使たち』(2011年)

2024年1月6日 AmazonPrime Videoにて鑑賞

 前作『人魚大海戦』があまりにもあんまりな作品だっただけに、今作のクオリティの高さにはホッとする。
 まず最初に、本作はこれまでのドラ映画と比べて“ギャグセンが高い”ことを指摘したい。
 のび太のママが「狭い家」と何度も言われてだんだん怒る(しかしのび太は気づかない)とか、ジュドの頭脳が暴れて翻訳コンニャクがずれ落ちるので会話が成り立たず苛立つ(この場の全員はいたって真剣)とか、説明過多でないギャグシーンが笑える。このバランスは映画ドラえもんシリーズ(旧版も含めて)であまり出来ていなかったところだと思うが、原作に近い笑いのバランスが再現されていて好感を持った。
 原作に近いといえば、そこそこの頻度で無表情のドラえもんが画面に映り込んでいるのも「あ、原作の“白ドラ”っぽい!」と嬉しくなった。詳しくは下記リンク先、『変ドラ』という素晴らしい藤子作品ファンブログ内の『白ドラ』に関する記事を参照してほしいが、なんか妙に白けた表情でキャラクター(主にドラえもん)が突っ立っている場面が原作には頻繁に登場し、これがなんとも言えないユーモラスなとぼけた雰囲気を醸し出していて、独特の魅力があるのだ。今までのドラえもん映画、特に作画がデジタルに移行しキャラクターが常に動くのが当たり前になった2003年からは、こうした空気感が入り込む余地はなかった。

 あるいは、のび太が居残りさせられるシーンで教室の後方に「反省」と書いた習字が貼られていること、福山雅治がカメオ出演するシーンで「特別ゲスト、何とここで登場だったんですね」というメタ的にも意味の通るセリフが入ることといった、気づかないなら気づかないで問題ないような細かいネタも気が利いてる。
 こうしたギャグセンの高さから言えることは、作り手が観客のリテラシーを信頼しているということだ。わかりやすさを追求したあまり破綻して誰にとっても飲み込みづらい出来になった前作からの反省というべきか、「ここで笑ってください」の合図を出さなくても観客に面白さは伝わる、という信頼に基づいて作られている。

 前作で戦争という概念をあまりに杜撰に扱ってしまったのとは違い、今作のそういった描写には目をみはるものがある。
 特に、静香がそうと知らずにザンダクロスの攻撃スイッチを押してしまう場面は白眉だろう。無人の街を破壊してしまい、ガラスが砕け散る光景の美しさに一瞬我を忘れたのち、自身が行使してしまった暴力におののいて慟哭する。少年少女が、目に見える光景の異様さに混乱しつつ、想像される凄惨さに確かな恐怖を覚える理性を描いた、ドラえもん映画の歴史の中でも屈指の名シーンだと思う。ここでも作り手は、静香たちの感じた恐怖を説明しすぎず、観客である子供たちの想像力を信頼している。

 このように繊細な感覚の本作において、そうした感覚の上に立っているようにも、そのバランスを揺るがしているようにも見える存在が、新キャラクターのピッポと彼を巡るエピソードである。
 のび太たちは対話のために、ジュドに共感しやすい容姿を与え、ピッポと名付ける。この行為自体倫理的にどうかとは思うが、可愛い見た目のキャラクターによって受け入れがたい対話を試みるというのは、フィクションの大切な機能でもある。
 加えて、ジュドとリルルの歌を巡る前日譚が描かれ、観客にとってはこの2人が感情移入の対象となる。
 しかし、見てくれが愛らしく、歌(人間的な芸術)を愛するという特権的な特徴を持つ2人に共感するのび太たちという図式には、観ていてどこか後ろめたい思いがつきまとう。
 前作『人魚大海戦』では美醜によって正義と悪が振り分けられることを全面的によしとする作りが見るに耐えなかったが、今回ののび太達の仕草も、そういった意識と同根のものではないか?と。
 しかし本作は、その部分に批評的な思考を向けることが望ましい作りになっているのが、前作との大きな違いである。なぜならこの物語のテーマはまさに「人が他者に向ける共感や思いやりとは一体何か?」というものだからである。
 人形に対してすら心があると感じ、思いやりを持つ静香を描いたシーンは本リメイクの中でも最高の追加要素だと思うが、そんな人間の美徳にも、やはり限界はあるかもしれない。
 今回観直して、ラスト近く、のび太と総司令官がはっきりと目を合わせるカットがあるのに気づいた。のび太はそこに、自分たちが対話することを諦めた本来の姿のジュドを見たのではないだろうか。あるいは醜いの一言で切り捨てた前作のブイキンを。
 ラストでのび太の教室には相変わらず「反省」の習字が貼られている。今回はギャグとしてではなく、その上の「希望」の文字と合わせて、メカトピアと“鏡”写しである人類の歴史に対するさりげない示唆として映る心憎い演出だ。この作品で作り手が、のび太達が試みたことと、できなかったことに思いを馳せることも、人類史における「反省」と「希望」のごくわずかな一部と言ったら、少し大げさだろうか。

 とはいえ、こんな深く思考をめぐらされるのも、この作品の基礎的な部分がよく出来ているからに他ならない。共感と思いやりがテーマの本作に対して監督の寺本幸代は適任で、新魔界大冒険の美夜子と静香のシーンを思わせる繊細な演出が全編に行き渡っていて本領発揮だった。脚本の清水東はこれ以降5作品に渡って続投していて、(この後の作品に関しては色々言いたいことあるんだけど、)才能のある人なんだろうなと思う。リニューアル後のドラえもん映画にとってエポックメイキング的な会心の1作と公式に見なされていることがうかがえる。
 それと主題歌のBUMP OF CHICKEN「友達の唄」がめちゃくちゃに良い。人生で初めて買ったCDというのもあるけど。

 あと、鏡面世界に入ったスネ夫が「なにがなんだかとにかくすごいぞ!」と言うのはオリジナル版鉄人兵団の予告編で使われた文言のオマージュなんだけど、誰が誰に向けたなんの目配せだよ。 


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