ひとりで生きるのも死ぬのもおっかなくてさびしいから

 ふざけていて、世の中を舐めきっていて、正攻法では何も上手くできなくて、人に迷惑をかけているような、そんな人の存在が自分には本当に希望でそれによってしか生きてあげようかなと思えないところがあるので、そういう存在を絶対に許せないと考える人が大勢いて、その人が大勢から責められていることがつらい。

 少なくとも表現者に関しては、モラルやマナーを疑いもせず守っているだけの人より、本当にそんなものが有効なのかうたがってみたり、モラルやマナーを越えたところにも何かあるかもしれないと色々試す人の方が、よっぽど倫理的だと思っている。

 法律なんていくらでも不当なところがあるし、モラルも立場やコミュニティによって全然変わってくるし、この世のあらゆるルールは疑ってみたっていいものだと思う。基本的にはそれを守っていないと社会が成り立たないし個人の生活もできないので皆守っているけど、そこから外れたところにある人や心にアクセスできるのは、それを破る人しかいない。

 だから「このルールを破っていますよ」という指摘がそのままその人の人格を否定できる根拠になると考えている人は大きな間違いだ。何か起こったのを知った後から「そこだけは越えちゃいけないラインだった」なんて真顔で後出しジャンケンするやつなんて論外だ。

 僕は基本的に世の中に張り巡らされたコードをうまくわたれない人や、そういう人のために創作や表現をしてくれる人ばかり好きになるし、救われているので、たびたびそういう人が大きなトラブルを起こし、炎上し、人格否定されるのを見てしまう。自分が本当に大好きな人がそうされて当然のように迫害されてるのを見るのは苦しいし、その人が大好きな自分まで死ねと言われている気分になる。

 でも本当に辛いのは責められている本人なので、こうやってすぐ「僕ってこういう人のことばかり好きになるからこういう時つらいな」とか自分の感情にスライドして考えてしまう僕は自分本位でおこがましいなとも思う。自分の過ちに直面して苦しんだり対抗したり直そうと努力する人は本当に偉い。間違えない人より間違える人の方が圧倒的に正しい。自業自得って言葉で何か言った気になるやつはきっと何も間違えたことがないから、そんな言葉は気にしなくていい。

 その人ができるだけ何も失わず、信頼できる人と笑ったり、おいしいものを食べたり、よく眠れたり、幸せでいてほしい。ふざけていて、世の中を舐めきっていて、正攻法では何も上手くできなくて、人に迷惑をかけているような人が幸せになってくれないと、この世にはあまりにも僕には救いがなさすぎる。

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