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あの頃神宮球場にいたわたしへ

この前の日曜日、神宮球場のパノラマルーフ席に初めて座った。
ネット裏の、屋根がある席です。

長いこと、もう何十回も神宮球場に来ているのに、生まれて初めてネット裏に座った。
これがもうびっくりするほど良くて、ほとんど感動といっていいほどだった。
ネット裏から見る神宮球場の光景に、わたしの30年はなんだったんだ!!と愕然としたほど。

あなた、こんな顔をしていたの?
神宮球場よ。

美しく暮れてゆく

中学生のとき、かれこれ30年ほど前にヤクルトスワローズの大ファンになった。
当時は野村ID野球の全盛期で、池山・広沢のイケトラコンビや、代打八重樫が大活躍していた時代である。

わたしの実家はシーズン中は毎日ナイターがついているような野球好き一家で、
ナイターをつけ、かつ、ラジオで別の試合の中継を聴くことも多かった。

東京の巨人軍グラウンド近くで育った母は幼い頃からの巨人ファン、同じく東京の四谷のあたりで育った父はなぜか阪神ファンだった。
というのも父は神戸に本社がある会社に勤めており、仕事で何年か神戸に滞在していたかららしい。
そしてわたしの兄は、父の影響を受けて阪神ファンに。
しかしわたしは巨人でも阪神でもなくヤクルトファンになったのだった。

中学一年生のとき、突然学校に行けなくなった。
中学受験をして合格した念願の第一志望の学校だったのに、半年もしないうちにわたしは不登校になったのだ。
当時はまだ不登校という言葉がなく「登校拒否」と呼ばれた。とても嫌だったけど、そう呼ばれることを拒否することもできなかった。
大きな理由はないのに学校に行けなくて、自分でもどうしてなのか分からない日々。
みんなができている当たり前のことができない、なにか自分が世の中から「だめ人間」という烙印を押されたような絶望感でいっぱいだった。

わたしがヤクルトファンになったのは、そんな頃である。
テレビから流れるナイターを見ていて、ヤクルトの選手たちの躍動するプレイに胸が踊った。野球を見ている時だけは、「嬉しい」「楽しい」「かっこいい」「びっくり」「がっかり」などたくさんの感情があふれた。
自分を否定する日々のなか、彼らの野球を見ることでどんなに心が救われたか分からない。
野球はわたしの心を生かしてくれた。

兄に連れられて、生まれて初めて神宮球場の外野席に行ったのもその頃だ。兄は阪神ファンだったので相当居心地は悪かっただろうが、わたしをヤクルト応援のど真ん中であるライト側外野席に連れていき、応援用のメガホンやビニール傘も買ってきてくれた。
不登校している妹への、兄なりの優しさだったかもしれない。はじめての神宮球場、中学生のわたしには夢のような夜だった。

その後、一年半の不登校期間を経て、中学三年のはじまりに学校に復帰した。
なんで行けるようになったのかはいまでもよく分からない。きっと人生にはタイミングみたいなものがあるのだろう。
不登校明けで周りの人たちとうまくやっていけるか死ぬほど不安だったのだが、
不安だらけの新しいクラスで、出席番号がひとつ前の子がなんと偶然にもヤクルトファンだったのだ。
わたしたちは一気に仲良くなり、一緒に神宮球場に通うようになった。

そんな風に人と繋がれたことはとても幸運だと思う。

当時の神宮球場には外野自由席というのがあって、中学生は500円で野球が観られた。
チケットを取るために外苑の銀杏並木に午前中からレジャーシートを敷いて並び、夕方に開門してようやく外野自由席に座れるという一日仕事だったが、すべてが楽しく青春だった。

それから30年の月日がすぎ、もう何十回と神宮球場に足を運んだけど、初めてのパノラマルーフ席から見た神宮球場は、胸がじーんとするほど良かった。
大きく暮れてゆく空と、美しく広がったグラウンド。
あかるかった空がだんだんと暮れていき、試合が中盤に差し掛かったころにはようやく濃紺の夜の色になる。

中学のとき、不登校だったわたしをこの場所が救ってくれた。大げさではなく本当にそう思っている。
古田も、池山も、広沢も、野村監督も、みんな恩人だ。

パノラマルーフから見る外野席。
ライトに照らされた外野席に、あの頃のわたしがいるみたいに見えた。

この球場があと数年後には再開発のためなくなってしまう。さみしい。

でも、どうしたって日々は流れるのだ。



この日のナイターはヤクルト対広島だった。
カープの選手は素敵だったし、カープファンの人達のスクワット応援には相変わらず目を奪われた。
わたしはヤクルトファンではあるけど、広島も巨人も阪神も中日も横浜もとても好きだ。各球団に好きな選手がたくさんいる。

わたしの席の近くに、カープのユニフォームを着た高齢のご夫婦が座っていた。
上品に静かに試合の動向を見つめておられたのだが、カープの菊池が打席に立つと、やおら菊池と書かれたタオルをかかげ、大声援を送りはじめた。
ご高齢なのに少年少女のように声援を送るその姿を見て、なんだか胸がじーんとしてしまった。
菊池が大好きなんですね……!わたしも好きです!と、一緒に声援を送りたくなった。


もしかするとわたしはただのミーハーなのかもしれない。
でも好きでいることはとても楽しい。楽しく心豊かにいられることが大切だ。

あの頃のわたしへ。
わたしは30年経っても相変わらずヤクルトが好きだし、神宮球場にも行ってるし、でも外野自由席の10倍くらい高い席に座れるようになったよ。
いまも野球は楽しいよ。
学校に行けなくても未来はなんとかなるから、そのままの自分でいて大丈夫だよ。

あとヤクルトだけど、最下位から優勝したり、優勝から最下位になったりしていて、ほんとに野球っておもしろいよね。