見出し画像

NEVER ON SUNDAY

いまから25年くらい前、まだこの世に「ブログ」というものも「SNS」というものも存在していなかったころ、インターネット社交界にはいったいなにがあったのかご存知でしょうか。

いまの若い方は想像がつかないと思うけど、「個人のホームページ」というものが、そこにはあまた存在していたのですね。

自分専用のホームページ。ブログみたいに形式が用意されてなくて、それぞれに、手作りである。文字がガタガタだったり、変な動きをしたりもしている。

そこに、「日記」「掲示板」「リンク」なんてメニューがあって、「あなたは○○番目のお客様です」なんてカウンターが回ってたりして、キリ番ゲットという風習とか、リンク用のバナーとか、いろいろ、いまはもう使わなくなってしまった言葉が浮遊していた。
(あ、ポストペットなんていうメール交換ツールもあったな)

わたしが初めて入手したパソコンは、iMacという青い色をしたコロンとしたデスクトップパソコン。
大学3年生、ゼミの卒業論文を書くのにパソコンを使用する必要があって購入したのだったと思う。就職活動はまだ、会社にエントリーシートを取りに行って、手書きで郵送して、面接もすべて直接会って行うというアナログ時代でした。
築地にある朝日新聞社に面接やら筆記試験やらで5回も通ったこと、わたしゃ忘れないよ。

ちなみに卒論のタイトルは「江戸の色彩感覚」。史学科で近世史、とくに江戸の風俗を専攻してたんです。もともとは幕末が好きで入った史学科だったが、どういうわけか江戸の川柳とか歌舞伎とか浮世絵とか、文化の中から見えてくる江戸の風景や市井の暮らしに興味を覚えてそんな研究をしていた。

ちょっと話が逸れました。

そんなインターネット社交界にてわたしは自分のホームページをつくって、日記を書いていた。「エンピツ」という日記サイトを利用して、確か日記のタイトルは「NEVER ON SUNDAY」だったと思う。(当時、語感で適当につけた)

そこへほぼ毎日なにかしら文章を綴っているうちに、ありがたいことにそれを読みに来てくれる方々が増えてきた。
そして、あの頃は、ホームページに来てくれた方とはたいてい掲示板(コメント欄みたいなものです)でやり取りをして、メールでもやり取りをして、その後は実際にお会いすることが今よりずっと多かったように思う。

そのホームページきっかけで実際にお会いした人は10人以上はいたと思うし、そしてさらに驚くのは、そのうちの半分以上とは、25年経ったいまでも友人として仲良くさせてもらっているのだ。ついこの前の日曜も、そんなきっかけで仲良くなった四季さんとお茶をしてきたばかり。

「あれ?この人とは何で知り合ったんだっけ?」と思うことがある。
ホームページだ!と思い出すたびにびっくりするのである。

そこきっかけの友人の方が太く長く繋がっていることを思うと、なんだか不思議なもんだなと思うのです。その方々とは不思議と波長が合うし、面白いと思うこと、ふざけんなと思うことが似ていることが多い。

で、さっきふと思い出したのですけれども、その頃、わたしがホームページで唐突にはじめた企画がある。

「家に眠っているポストカードを消費するための、ポストカード文通企画」というやつだ。

大抵の人の家には、大量のポストカードが使われぬまま眠っていないだろうか。
旅先で買ったもの、なんか可愛いなと思って買ったもの、人からもらったもの、よく分かんないけど前からあるもの。
その頃のわたしはそんなポストカードをめちゃめちゃ大量に持っていたのだ(ちなみにいまでもわりとある)。

そこで、そんな眠れるポストカードを使ってあげようという名目で、わたしとポストカードオンリーの文通をしませんかと、そのホームページの日記から呼びかけてみたのである。
すると、それまでは掲示板にも書き込みをされていなかった初めましての方(実は前から読んでました…という)からも「ぜひ参加したい」と反応があり、その頃わたしは7~8人の方とポストカードによる文通をやっていた。
今ならなんだか考えられないことですね。
わたしというよく分からん人間を信用して、住所とお名前を教えてくださり、文通をしてくれたのだから。

しばらく続いたポストカード文通はいつしか終焉を迎えたけれど、でも、続いていた頃はポストを開けると誰かしらからのポストカードが届いていてそれはそれは胸が踊ったものだった。

そんなことが、いま、したいよね。
と思う。

Twitterやnoteもいいけど、届くまでにタイムラグがあって、でもその人自身の直筆で、書いた時の感情が届くような、そういう遠回りなやり取りがポストカードに綴られている。

今日こんなことがあってね、ちょっと笑えたよ。
こんなことあって腹立つよね。
いまちょっと凹んでおりますよ。
ポストカードに書けるのってその程度の分量だ。

いまは、SNSの普及てインターネットでの人と人の距離や速度は近く速くなったけど、近いようで人となりはよくわからぬような、速いようでただ過ぎ去ってしまっているような、そんな気もします。

なーんて、昔を懐かしむ夜。

ちなみに今のこのnoteは、あの頃の「NEVER  ON  SUNDAY」を書いていた大学生~社会人なりたての頃の自分がそのまんま書いているよな感じがあります。
その頃の日記を読んでくださっていた方にも、いまこれを読んでくださっている方にも、ラジオを通して話しかけてるような気持ちで書いてるんです。
わたしにとって、WEB日記は、ラジオに近い。

変ですかね。

・・・

さてところで、そんないきさつで知り合ってもう20年以上の四季さんと、日本橋の「黒澤文庫」というオシャレなカフェでおしゃべりしてきた。

純文学がテーマのテーブルでした
手のひらくらいある巨大マグカップ(伝わらぬ)

四季さんは会うたびに新しいなにかを試みている人で、なんというか、ひとつに留まらない人だと感じる。佇まいはかっこよくて落ち着いてて、もちろん継続してることもいろいろあるんだけど、気づくと興味が異世界にいる(行っちゃってる?)という感じ。
濁りがない。
そういうところがわたしは本当に好きなんだけど、今回は「実は、年が明けてから家でひとりでソーラン節を踊り始めている」という。

なぜ!

ソーラン節、全身運動でものすごい汗をかくのだそうだ。
何ヶ月か続けたらなにがしかの良いスタイルが得られるのではないかと。

もちろんこれにはわけがあるのだが、わけというのは、ソーラン節に関してバズったツイートを見たから、というものなのだが、だからといって毎日ソーラン節を家で踊ってみようと思い立ち行動に移す四季さんがすごいと思うのだ。

ソーラン節とヨサコイ節は違うんだっけ、ヤーレンソーランソーランソーランはいはい!みたいなやつだっけ、なんか漁師が地引き網を引く的な動きの…?などと考えながら帰路に着いた。

次に会う時がまたたのしみだ。

・・・

「あきらめる」って言葉は「明らかにする」っていう言葉が語源らしいんだけど、年明け早々、わたしはひとつ大きくあきらめたことがありました。
つまり、ひとつ明らかにして、撤退したのだ。

そのことをあきらめるかどうか夫に相談したとき、夫は自分の意見というよりも、
「あなたの脳は、もうあきらめろとあなたに司令を出してるよ」
という表現をした。それが実に響いた。
そう言われちゃあもうあきらめるしかないじゃん。脳がそう言ってるんだもんな。

明らかにしたら、あとはもう従うだけ。
だからあきらめることは後ろ向きなことではない、と、思うのである。