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日記 #4

2022/09/10

朝早めに起きて稽古①。荷物が多い。
散策者で喋るとき、いつもテンションを下がってしまうので、もっと快活に話せるようにコンディションを整えたい。興奮するようなことを、しっかりやるべきなのかもしれない。

移動前にカレーを食べる。サリサリカリー。おいしい。持ってきたキーマカレーはまた後日食べる。

稽古②。『ぼんやりブルース』通し。ちょっと前半のテンションの持っていき方に難があった。及第点は出せるようになったと思うから、残りの期間——もう次の稽古は豊岡での場当たりだけれど!——よりよいパフォーマンスを繰り返せるように調整する。

2022/09/11

もともと一緒に映画観に行くはずだった人が体調悪くなってしまったと連絡が入る。それなら、と急遽河村の映画を観に行くことにした。連絡したらチケットを取ってくれた。ありがたい。

『J005311』(河野宏紀監督)は、手持ちカメラなので、めちゃくちゃ画面酔いしてしまって、スクリーンを直視できない時間もいくらかあったけれど、背中を追う長回しが特徴的で、画面内の人物が(精神的に)右往左往するさまに帯同している感覚はとてもあった。不条理な状況に巻き込む/巻き込まれるという関係だけれど、巻き込む側が主人公?なの珍しい感じがする(2人とも主人公だといえるかもしれないけど、やはり最初に長い時間をかけて観客に提示される野村さん演じる男の方をより中心として見てしまう)。

観ながら、こないだ見たエリック・ロメールの『友だちの恋人』と比較?していた。あれは必要十分な量のシーンだけで物語を成立させているような気がして、テンポ感が異様に良いのが新鮮だったんだけれど、この作品はめちゃくちゃ長回しで、そこにある逡巡や選択の瞬間を映そうとしているんだろうと感じた。他方で、映画の快楽にはカットとカットが断絶していることもあるはずで、シーンのきれめ——特に銀行の前のシーンから車内のシーンへの転換——には、ハッとさせられた。映画には、こうして物事の間を切り詰めることが可能である。

『バンド』。まず、前の作品との差異で、カメラが固定されている!という驚きがある。ボクシング強いせいで、サンドイッチを避けられちゃうところが一番笑った。人の配置やカット割り、カメラの動きでわかんないところがいろいろあったけど、長編作品になるともっとリズムに浸ることになるから、なにか見えてくるものがあるのかもしれない。河村が映画美学校行ってるの知らなかった。それとも聞いていたんだろうか。

しぇとニノとブルーリリーへ。
ovationやmasturbationが名詞が先に生まれて、それから動詞が生まれたというのを調べた。さいきん、同じ話でelevatorもそうだって話をTwitterで見かけてたのを書きながら思い出した。

隣の席におばちゃんが2人座っていて、そのうち片方がもう片方に延々と愚痴を言っていた。同僚かなにかが「使えない」らしく、「あの人は口では「すいません」とか言ってるけど、ほんとのところは悪いなんてこれっぽっちも思ってないのよ。それでこっちが結局尻拭いさせられるんだからたまったもんじゃないわ」みたいなことを僕らが入ってから出るまでずっと話していた。

帰り道、「水を得た魚」で銀座の街に座り込むくらい笑った。時が経ったらなんであんなに面白かったのかわからないことでたくさん笑う、そういう瞬間のために生きてるなあ。

2022/09/12

バイト先で久々に会う後輩に、「ビリーさんはいま大学にいるんでしたっけ」と訊かれたので、「いや、もういないね!」と答えたら、「あー、じゃあプー太郎やってるんすね」と笑いながら言われた。
だいたいの人間は、おれがもう大学にいないのにもかかわらず就職しないでバイトしつづけている訳をおずおずと尋ねてくるのに、いきなりプー太郎と決めつけるなんて失礼なやつだ、と思って、ありがとうと礼を言った。「そうそう、プー太郎なのよ」と答えられる方がおれにとっては心底楽だ。こういう馬鹿みたいなやつに馬鹿にされるくらいが心地よい。

2022/09/13

ラインの返信でもっと「ありがとう」と言いたい。A→B(Aへのリプライ)→C(Bへのリプライ、Aへの補足)のパターンをやりがちだが、まずBへの礼を述べるべき。

ゴダールが死んだ。まだ1作しか観ていない私にとっては輪郭のあるような人ではない。

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