ポセイドンアドベンチャーとキルケゴールの死に至る病



We‘ve come all this way,no thanks to you.We didn’t ask you to fight for us. Don’t fight against us.
ここまであんたに力を借りずにやってきた。応援してくれなんて言わないから邪魔だけはしないでくれ。

ポセイドンアドベンチャーは70年代パニック映画の金字塔。豪華客船のデッキで主人公スコット牧師は、神は貴方が全て自分自身で解決できる根性と意思を持っていると知っています(神様になんか頼るな)と無神論演説を行い同僚を困惑させる。

やがて大津波が客船に衝突。上下逆さになった沈みゆく船の底からスコットは生存をかけて乗客を導き最上階を目指す。

スコットは何度も究極の二択を迫られる。

今にも浸水が迫っている船内でこのまま待機しろという支配人に対して、上に行かないと溺れ死ぬと主張するスコット。程なくしてスコットに従わない者は溺れ死ぬ。

上階へ進むと生存者の大群に出くわす。皆動転しながら船首が安全だ!と先を急ぐがスコットは船尾が安全だと信じ、船首へ向かった乗客は助からなかった。

今度は目の前の道が水没している。ここで助けを待つべきか、水中に飛び込むべきか?
スコット一行は意を決して水の中を進む選択をするがマニーは命を落とす。

出口まであと一歩とその時大爆発が起こりリンダが焼け死ぬ。それだけでなくボイラーの高温蒸気が行く手を塞いでしまう。助かる道は前にしかない。

「まだ生贄が欲しいのか!」とスコットは叫びながらジャンプして超高温のハンドルに飛びつき蒸気を止める。がそこで力尽き焼き爛れた手を離し炎の中に消えた。

人生は選択の連続だ。「あれか、これか」で自分の全存在をかけて、ありったけの情熱の傾けた決断によって自分の人生を主体的に選択していかなければならない。

しかしその過程には必ず絶望が伴う。生きる意味を探す旅は絶望が絶望を呼び自己を喪失する経験と言い換えられる。これをキルケゴールは死に至る病と呼んだ。

キルケゴールはその絶望の中で信仰を持つものは救われると最終的にキリストを信じろと説いたのに対しスコットは神様は何もしてくれないと言った。

スコットは究極的に主体的な人間だ。神様なんていない。誰も助けてくれない。ならどうするか?全て自分で解決するのさと説く。

成り行きにまかせろとか、置かれた場所で咲けという言葉が嫌いだ。主体性皆無だし、何もしなければ多分後悔するし、その通りに生きて成功するのは神に愛された人間だけで自分はそうではない。神様は当てに出来ないから自分で動くしかない。

勝つと分かっている勝負にしか挑戦しない人間に価値はない。勝算の読めない戦いは当然ながらリスクがつきものだ。しかし人生を変えるには自分を信じて暗闇の中へジャンプするしかない。スコットが教えてくれたのはそういうことだ。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?