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カリスマちゃん

自分は、X(旧ツイッター)をやってる。

といっても、ほとんど利用しとらん。

だからフォローもフォロワーも、ずっと「0」の状態が続いてた。

ところが去年の秋。

Xひらいたら、フォロワーが「1」になってた。

「えー?誰?こんな退屈なXをフォローした人は?」

見に行くと、20代後半くらいの女性であった。

チュパチャプスくわえた自分の写真をアイコンにしておった。

ポストしているのも全部自撮り写真ばかり。

「パフェたべました」だの、「海いきました」だの。

1ミリも興味もわかんかった。

彼女のフォロワー数は500人もおった。

すごいな思たら、フォロー数はその10倍くらいおった。

おそらくフォロワー数を増やすため、あちこちフォローしまくり、フォロバで、こんだけの数字を稼いだなと直感でわかった。

まあ、別に人を傷つけるような投稿もしてないし、悪そうな人にも見えなかったんで、フォロバした。

ところがその見立ては大間違いであったと気づいたのは、それから1か月後のことだ。

久々にXひらいたら、自分のフォロワーが「0」に戻ってた。

「ああ彼女やめたんか。まあフォロバしてから、一度も彼女のX見てないし、リムり返すか」

そう思って、彼女のXに行ったら、信じられん光景が広がっておった。

なんと彼女、いつのまにか、フォロー数0人。フォロワー数300人のカリスマになっておったのだ。

えー!?である。 

これ知らん人が見たら、「この人すごーい。誰もフォローしてないのに、こんなにフォロワーがいるわあ」と勘違いすること間違いなしである。

あのアマ、最初から狙いはこれだったのか。

フォロワー数が500人から300人に減っとったのは、「ふざけんなあ!ぼけ!」とキレて、リムり返したのは容易に想像できる。

が、しかしそれでも、それだけのフォロワーが残れば御の字である。

自分は、そのやり口のあまりの汚さに怒りを通り越し、感動してしまった。

「やるやんけ」

だから、リムるのをやめ、しばらく彼女のフォロワーを続けることにした。

それからは彼女のXをチェックすることが日課となった。

以前は、いっこも見る気のなかった彼女のXであるが、見だすと、これがなかなか面白いのである。

といってもポストする写真ではない。(当たり前だ。あんな自撮りなどクソもクソ。牛のクソだ)。

何が面白いかっつうと、フォロワー数が日に日に、どんどん減っていくのである。

前日300人おったのが、280人になり、その次の日には250人となっていくわけだ。

そりゃそうであろう。

フォロワーは全員、彼女の正体を知っているのだ。

有名人でもなければ、モデルのようなビジュアル映えしてるわけでもない、どこにでもいそうな平凡な姉ちゃんのクソしょうもない自撮り写真Xを善意でフォロバしてやったのに、裏切りやがって。大体、おまえ、いつもピース写真をアップしとるが、あれは『バカな連中をだましてやったぞ。イエイ』と言ってるようにしか見えんぞ。この詐欺師。

てなもんである。

フォロワー数は減りに減り続け、去年暮れにはついに100人を切った。

「おいおい~。このペースでいけば、節分の頃には、フォロワーは、おいら一人になるんじゃねえか~?どうするよ~?カリスマちゃんよ~。ヘイヘイヘイ~」

そう思ってたら、年明け、カリスマちゃんが動き出した。

なんと、また誰彼構わず、フォローをしまくりだしたのだ。

しばし「0」だった彼女のフォロー数が猛スピードで増えはじめた。

同時に、フォロワー数も微増しはじめた。

はあ~(溜息)。

どうせ、フォロワー数たまったら、好意でフォロバしてくれた人を全員リムるつもりだろ。そんでカリスマに返り咲く魂胆だろ。

芸のないやつだ。

どうして正攻法でフォロワーを増やそうとしないのだ?

知らんやつの自撮り写真なんて、親以外、誰も興味を持たないということに早く気づけ。

それよりドラマの面白い感想とか、社会問題に対する高尚なサゼスチョンとかをポストしたらどうだい?

漫画やイラストでもいい。

なんなら、noteをはじめてみろ。

「私はカリスマになりたいんだ日記」でも書けよ。

noteは利用者多いから、面白がってくれる人も絶対いるよ。

そして、こまめに更新して、少しずつフォロワー増やして、「Xもやってま~す。こっちのフォローもお願いしま~す」で、いいじゃんかよ。

千里の道も一歩から。小さなことからコツコツと。だぞ。

と、力説したところで、しょせん彼女には、馬の耳に念仏。うるせーバーカなのであろう。

目標のためなら、他人を蹴落としても構わないそのガムシャラ魂は、欧米人のソレをイメージさせる。

謙譲の美徳をもった日本人には、とてもできないことを堂々とやりとげる彼女のXは、まさに我々が国際感覚を身に着けるための、絶好の学びの窓。

そう言えるのではないでしょうか。(んなわけあるかーい)

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