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病気でも『健康寿命』と言う強さ

私の父は齢70を過ぎた頃、今から約10年前に多発性骨髄腫と診断された。完治のない血液の癌の一種。
診断がついた当初はもう人生終わったかのような思いに苛まれていたようだが、今も存命である。

完治がないだけにいかに生活の質を保ちながらがん治療をするかに焦点が当てられる。

5年生存率も10年生存率も最近は伸びてきているが、後者の10年生存率は2割に届かない。父はその2割に含まれるわけだ。

二週間ごとの抗がん剤治療を受けているのだが(午前中採血、その結果を診て午後いっぱいかけて点滴する)、いつも自分で車を運転して病院へ行き、自分で車を運転して帰ってくる。

良くなったり悪くなったりを繰り返しているのだが、脇の下あたりに腫瘤が新たに出来た時も放射線治療のため自分で車を運転して病院へ行っていたし、左上腕骨に転移が見つかった時も自分で車を運転して病院へ行き、放射腺治療を受けた。

他の放射線治療を待つ人たちは一様に深刻な顔をし、治療を受けるベッドに乗るのにも介助が必要だったそうだが、父は自分で一人でベッドに乗り医師の「上向いて。ちょっと左寄って」などの指示通りベッド上で動いていた。医師も驚く元気さだ。

痛みが強く茶碗も持てないぐらいだったのに右手だけで運転するんだから、正直危なっかしい。運転しないでほしいのだが離れて住んでいることもあり父のやることを止められない。
ちなみに強い痛みは通常の鎮痛剤では効かないため麻薬系の鎮痛剤を使用している。

父は60歳でそれまで勤めた会社を定年退職し、すぐ自分で建築事務所を立ち上げた。そして大口の顧客も獲得し、この歳まで仕事を続けてきた。80歳にもなるお爺さんによく仕事を依頼するものだなと思うのだが、父は見た目も声も若々しくがんを患っているなど誰も思わない。会社員の頃からそうだったが仕事が何より大切で一生懸命だった。仕事は父のアイデンティティーそのものなのだ。

がん治療を続けながら仕事を中断もせずしてきたのだから、生活の質を落とさず(それまでの生活を変えず)やってこれたということだ。

そんな父の見舞いに2月末に実家に帰省した。腕の痛みは辛そうだったが存外元気そうで安心した。これなら当分大丈夫、と胸を撫で下ろし東京の自宅へ戻った。
ら、その日の午後父が転倒し救急搬送された、と。

私が実家を離れた途端救急搬送だなんて。

パニックになった母から正確な情報が聞き出せずヤキモキしたが、転倒したということは間違いなく癌が転移している上腕骨を骨折しただろう。

そのまま入院かと思ったが自宅に帰され、次の日痛みに悶絶しながらまた血液内科に通常の?がん治療に病院へ。
結局手術をするとか、やっぱり観血的手術をするとなると感染リスクも高まるし(直前まで放射線治療を受けていて骨髄破壊されている)でそのまま固定だけすることになった。

最近したPET検査では左肋骨付近に新たな転移が見つかった。

私たち医療従事者は転移のことメタと言ったりするが、もう父はメタメタな状態。

これが自分の身に起こっていることならかなり落ち込むだろう。
何より強い痛みというのは生活の質を下げる。気力も奪う。

そんな父だが
「寝たきりじゃないから、健康やと思ってんねん」
「これからどれぐら健康寿命伸ばせるかな」
「死ぬまでずっと健康でおる」
と言う。

あちこち癌があって健康も何もないものだと思うが、本人は至って真面目。
でも癌があっても寝たきりにならず、まだ店じまいもしていない。
そんな父を強いなと思う。

いつ別れの時が来るのかわからないが、願わくは孫の誰かが結婚するときまで元気でいてほしい。

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