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今日のなんでもない日記

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放っておいたら、しゃぼん玉のようにいつか頭から消えてしまいそうな、だけれどどこかに残しておきたいような、ふとした日常のひとりごと。昔のmixiのような、とりとめのない文章を認める… もっと読む
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2021年11月の記事一覧

自分のオフィシャルスタンダードがあること

「汐留ってなんだかのちが住んでいるっぽくないよね」 「えー、どのへんが?」 「そもそもオフィス街にいなさそうじゃん。もっと素朴っぽい場所を選びそう。”街”より”町”でしょ。こっち(空中で漢字を書く)の字のほうね」 「吉祥寺とか?」 「三軒茶屋とか。」 「あーはんなるほどねー」 *** 時折そんな会話を友達と繰り広げる。 同棲していた家を解消し、広尾から汐留に越してきて4ヶ月目に突入した。 前住んでいた広尾はもともと彼が愛していた場所で、わたしがそこにお邪魔した形だったけれ

ただ、目の前の日々を愛しいと感じられる人生を

「なんだか漫画のような人生送られてますね」 そんな台詞を今まで何度ももらった。そのたびになんだか嬉しい気もしたし、恥ずかしい気もしたし、孤独なような、そうでもないような、そんな感情になった。 多分その台詞には、尊敬だったりとか、後ろにカッコで「私にはできませんが」とか「私はしたいと思いませんが」とかがくっついて見えるからなのだと思う。それが嬉しさと恥ずかしさの正体。 私だけわがままに、世界のルールに背を向けながらずんずん進んでいるような気持ちになることがある。 その感情自

シンパシーというか直感と言うかね

仕事柄たくさんの「初めまして」の人に出会う。 写真関係もそうだし私はちょろちょろ出歩くことが好きなので、 お店の人だとか、町のおじいちゃんだとか、お友達のお友達だとか、多分そこらの人よりも出会いの回数は多い気がしている。 その中で「あ、この人は」と思うことがある。 会って数時間で感じることもあるし、何度か顔を合わせてストンとくることもある。 そういう時、わたしの頭の中にはボックスがいくつか存在して、ちょっと大きめの横のボックスから、なんだか繊細なデザインで作られたような小