はつしま_180827_0026

消えちゃいたいくらいの顔面コンプレックスから解放されたのは、いつの頃だったろう

思えば毎日神様を恨むレベルで、自分の顔面がすごく嫌いだった。

大きな緑色のスーツケースをガラガラ引きながら表参道を歩いている途中に、ふと、ガラスに映った自分の横顔と、昔のわたしがリンクして、そんな思いがふわり降りてきた。なんでそんなことを急に思い出したのか。

ポツポツ降り出した雨は、突然スコールのようにザーッと激しく降り始めて、傘を持たない人々が足早に雨宿りできる場所を探す様子を見ながら、ずぶ濡れのスーツケースと自分の服の雨をぱっぱと片手で払いのけて、わたしもファミリーマートの屋根の下に滑り込む。

圧倒的に、晴れより雨の方が好きだ。
いつも晴れの日はイヤホンで両耳を好きな音楽に委ねているけれど、ザーッと目の前を斜線で切り抜いてゆく雨にワクワクしながら、イヤホンを外した。耳に心地よい、雨が地面を叩く音楽が届いた。 

10代、20代の前半もかな。整形のことばかり考えてた。 
会社にはばれないかな。
二重の手術はどれくらいかかるのかな。
もっと可愛く生まれていたら。
痛いのかな。
あの子みたいに生まれていたら。
親が泣くかな。
お金を出せば解決するのなら。

いろんな思いがドロッドロに渦巻いていて、鏡の前で一生懸命に化粧をすればするほど、ため息は多くなって。
何年も何年も、こんなに悩むくらいならいっそのこと、本当にやってしまおうと、何度も何度も「整形 値段」だの「整形 日数」だの、検索を繰り返してた。お母さんごめんなさいって思ってたけれど。同時に「なんで」って思ってた。それも含めて、ごめんなさい。 

結局でも、しなかったね。
29歳のわたしは、小学校の頃の写真を見てゲラゲラ笑いながら「何も変わってない」なんて当時の幼馴染と笑いあえるくらいに、”まんま”ですくすく育った。

大のコンプレックスだった切れ長の奥二重も変わらないし、つり目も変わらない。鼻だって低い、あの頃のわたし。 

でも今、あの頃死ぬほど整形したくて「3つ願いが叶うのなら、絶対ひとつは二重」と紙に書きなぐっていた頃を、思い出そうとしてもふとした瞬間でしか、扉が開かなくなった。

わたしはいつ、自分の顔面を受け入れたのだろう。
受け入れなのか、諦めなのかは定かじゃないんだけど。 

その答えは多分どちらも違ってて。
多分今のわたしも、自分の顔面は受け入れてないんだと思う。
だけれど大人になって、他に考えなければいけないことがたくさんたくさん増えたから、”子供の頃の大きな問題”がそんなものに紛れて、見えなくなっているだけだと思う。 

だから多分、心の奥底にはまだ、あの頃の気持ちは脈を打ち続けているはず。 

わたしがもし、この先親になることがあるのなら。
「あのね。どう思うかわからないけれど、お母さんは、整形してもいいと思ってるから」って言いたい。別にうちの親が、整形に反対していたわけじゃなかったけど、なんか世間の「親からもらった体は大事にしなさい」とか「将来後悔するよ」にずっと押しつぶされてた気がするから。
もしかしたら、「子供を産んだことがないからそう言えるんだ」って言われちゃうかもしれないし、子供を産んだわたしがこの日記を見たら「何言ってだ、29歳のわたしは!」って怒るかもしれない。 

でもね、当時のわたしにとっては、毎日鏡と向き合うたびに、心の中にシンシンと降り積もるあの想いと、付き合っていくことが死活問題だったんだよな。 

あとは、今自分の顔面が大嫌いでしょうがないひとには「多分時間が解決してくれるよ」って、教えてあげたい。悩みすぎないで、って。甘いかなあ。 

前を通り過ぎていくひとのビニール傘の合間から空が少しずつ明るくなっていくのをみていたら。
近くにオフィスを構えるブライトログの大滝さんが、傘を二本持って迎えにきてくれた。 

「雨めっちゃ降ってきたなあ」
「ね。びっくりしたー」
「お、今日のピアスかわいいなあ。クラゲか?」
「そうそう。似合うでしょ?」   

気づけば、いつの間にか過去のわたしはまだ、雨宿りを続けていたので。
ちいさく、またねと手を降った。

アイキャッチphoto: @ikepon

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