非言語思考

非言語思考。


これはまさに私の思考形態。


ここで表現者として発信しようと思い至ったのは、思考したそばから消えてなくなる儚き思考消える前に残しておきたかったから。


そうして、集めた思考を俯瞰して自分という存在を少しずつ理解したいと思ったから。


今の私は、

自分のことを大切に思えない。

自分にプライドがない。

自分はこういうやつだという

一定のイメージがない。


簡単に意見をまげ、

いつしか雑談で話を振られても

自分の考えがわからなくなった。


人と接する時に、

性格やテンションが一定ではない。



何かほころびが生じそうになれば、

とりあえず自分を犠牲にすることで、

やり過ごす。



そんなことを繰り返し、

自分を散々欺き、

自分の声に耳を傾けずにきたら、


いつしか自分の考えが本当にわからなくなり


居心地の良い場所・人も

失ってしまった。




そんな自分にさらに嫌気がさして、

自分磨きや自己啓発に走るけれど、

必要なことはそんなことではなかった。




多様性やその人個々の価値観が大切にされる時代に、私のような人間は生き辛さを感じる。



かつての時代は仕事においては

少なくとも

自己主張などせずとも、

人から言われたことを

従順に受け入れ行えれば良しとされてきた。



その時代を生きた親・学校の先生は


同じような人物像に育て上げるため、


熱くなる。



しかし、今、価値あるものとされるものは、

そこじゃない。

AI の出現により、

指示を正確に遂行すること、

大量のインプットをすること、

インプットしたものを元に行動に移すことは

価値あるものではなくなった。



0から1を生み出すこと、

野性的な感覚を使った捉え方や表現、

それらAIには出来ないことが

価値とされる。


そのためには、

いままでと同じことをやっていてはいけない

いままでと同じ考えではいけない


だからこそ、多様な考え価値観あり方が

価値あるものとされているのだろう。




学生時代に先生に反抗的だった子ほど達観していたり、生き様にプライドを感じるのは、


生まれ持った自分を無条件に曲げるということはせず、

様々な経験を通して思い迷い、その経験を根拠にその時々で腹落ちさせて決断をしてきたからだろう。


私は、

幼少の頃から

脳内は音楽光の陰影が流れ

気付けはその世界に浸っていた。


成長過程で浴びる周りからの刺激を

素直にインプットし、

特段、疑問を抱くこともなかった。

人からは優しい性格と言われ続けてきた。



大人になって、

偶然私を見つけてくれた人と

意気投合し、

居心地の良い関係性になり、

いつしか子を持つようになった。



でも、自分自身がわからないもんだから

ささいなトラブルが発端で

大切な人を失ってしまった。




大切な人との別れは、

大きな気付きをもたらした。



自分が自分を

いかにおざなりにしてきたか。

ということにやっと気がついた。




人生100年時代といわれている時代。

現在は、30代ぎりぎり前半。

まだまだ遅くはない。




一番身近にいるはず自分を

少しずつ知っていきたい。

そんな思いで始めたnote。


様々な自己表現から

自分の断片を輪郭を知っていきたい。


同じような思いの方と

つながりたい。



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