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手を伸ばす

ずっと気恥ずかしい。文章を書くこと、物語をつくること。それでも私は、書いている。

生き方について、これからの日々や生活について、真剣に考えられるようになった時に気持ちの根底にあったものは、恐怖だった。ただ怖かった。奥底にわだかまる曖昧な感情が、言語化し得ないまま目の前で消えていくこと。その時その感情を抱いていた自分の存在すら証明できない、あまりにも無力な自分。回り続ける社会の中に組み込まれて、生活の波に呑み込まれて、私の中の感情を置いてけぼりにしてしまいそうな自分。
そんな無力な自分に対する恐怖、それ自体もがするりと手からこぼれ落ちていきそうで、だから私は気恥ずかしくっても書いている。全てを忘れるよりマシだから。

文章を書いていると、記憶のそこかしこに居るなんにも出来ないか弱い私が、その幼いまんまの恰好で時折ふらりと、目の前に現れる。
「これからの私、いまのまんまで大丈夫?」
余計なお世話だよ、と言いきれるほど今の私も強くなくて、あたふたと抱えている鞄の中身を確かめて、そうしてやっぱり不安になったりもするけど。
たくさんの食糧も大きなお財布も重たい武器も持っていない、鞄は軽い、多分それでいい。

心の奥底から湧き上がる感情ひとつひとつを出来うる限り掴んでいきたいと思う。空っぽの鞄は軽くて、きっとどこまでも抱えてゆける。たしかに自分から湧き上がったそれを手を伸ばして拾い上げ、そのぼんやりとした輪郭を言葉でなぞり、鞄に仕舞いこむ。何にも持っていないけど、何にも持っていないから、私の鞄にそれを仕舞い込む余地はたっぷりある。

影のようについて回る恐怖をも、いつの日か鞄に仕舞い込めば。陽の当たる場所へ歩いていこうとも、もう怖くはない気がする。勘違いでもいい。
恐怖に輪郭を与えれば、忘れずに済むだろうか? 光に透かされて消えることもなくなるだろうか?

言葉にしたい、明確に掴んでいたい、忘れたくない
そう思った瞬間があったことを、それを成し得ないことへの恐怖を、私は覚えていたい。
ほとんど祈るような気持ちで、手を伸ばしている。

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