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Be kind to yourself -自分を労う価値

インターナショナルスクールでの経験

日本にいると「他人に対して思いやりを持って行動しましょう」という言葉は、当たり前のように使われる。他人を思いやるという考えは、日本独自の考えではない。英語圏でも「他人を思いやる行動」は、もちろん存在する。

わたしが若かりし頃に働いたインターナショナルスクールでも、そういう場面に何度も出くわした。その学校の秘書職に応募し書類選考が通ったという電話があった時に、「XX日の△時に面接来てください。面接場所は○○というオフィスです。場所がわからなかったら、校内にいる高校生たちに聞けばちゃんと教えてくれますから。」と言われた。当日学校についたけど、案の定オフィスの場所がわからない。そばにいる大人びた高校生3,4人に、「あの○○オフィスってわかるかしら?ここの学校に初めて来たから場所がわからないの。」と話しかけると、その中の一人が「えーと、すぐそこにある掲示板が見えますか?掲示板のところを右に曲がって。。」と道順を教え始めた。

すると彼の仲間が「おい、この人初めてうちの学校に来たって言ったじゃん。○○オフィスに連れて行ってやれよ!思いやりがねえな!」と、道順を教えてくれていた生徒に注意してきたのだ。注意された彼も「そんな怒んなよ。そうだな、初めての人にはわかりづらいかな。」とベンチから立ち上がり、「こっちです」と案内し始めた。時間にしたら2,3分の出来事だったけど、すごく長く感じた。面接場所のオフィスに着き、後の上司に「すぐにオフィスの場所はわかった?」と聞かれ、「いえ、わからなかったので高校生たちに聞きました。そしたら、わざわざ案内してきてくれました。」と答えると、「うん、うちの生徒は思いやりがある子が多いんだよ。」と後の上司はニコリしていていた。この流れにただただ驚いたのを、今でもよく覚えている。 この面接に見事に合格したこともあって、案内してくれた生徒たちともよく顔を合わせ話していた。

アイデンティティを受け入れているか否か

インターに通う生徒たちを毎日観察していると、本当に色々な子たちがいるんだなと思っていた。自分のアイデンティティを受け入れている生徒は、言動がしっかりしていた。肌の色、目の色、国籍に関係なく、他人に振り回されていない。他人に対して思いやりを持った言動を自然に取っていたし、恩着せがましくない。

彼らに対して自分のアイデンティティを受け入れていない生徒は、他人の顔色を見ながら行動しているようで、何をするにしてもぎこちない。「他人に好かれたい、自分の居場所を失いたくない」、そんな気持ちが彼らの言動から感じられた。振り返ると彼らの言動は、当時は浸透していなかった「承認欲求」の表れだったように思える。

自分を労い、自分を好きになる

この数年でわたし自身も他人軸で生きていたこと、そして承認欲求が強かったことがよくわかった。受け入れていたつもりの自分のアイデンティティを、受けとめ切れていなかったんだなと実感した。

いつも他人の意見に振り回されていると、心が疲弊してしまう。事あるごとに他人と比較していると、ありのままの自分を受けとめられなくなってしまう。英語には 'Be kind to yourself'という言い回しがある。「自分を労ってあげて」という意味だ。「毎日頑張っているよね」「今日の失敗を生かして、また今度頑張ろう」と自分を労うことで心が軽くなるし、自分自身をもっと好きになれる。この世に生まれてから死ぬまでずっと付き合っていくのは自分自身なんだから、自分という唯一無二の存在を労う価値はある。そして少しずつでも自分を好きになることで、心の疲弊が軽くなっていく。





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