私のお母さんが死んだ、という事実。


世界は目に見えない未知のウィルスと戦っている中、ひっそりと母の最初の命日を迎えた。あっという間のようで、とても長い1年。

子供を産み、母の本当の有り難さをやっと理解し始めた頃に母のガンが見つかり、余命宣告をされた。

余命宣告された母の気持ちを考えると、今でもみぞおちのあたりがぎゅっとなる。

残された時間が短いことは理解していたのに、「きっと私のお母さんなら、末期のガンが見事に消えて治った!」という奇跡を起こしてくれると、どこかで信じていた。

もちろん、奇跡は起きなかった。

ちゃんと先生が言っていた通りに病状は進行し、命の灯火が小さくなるのを見守るしか、私たちにできることはない。「無力」とはこういうことなんだと人生で初めて知った。

そして1ヶ月半後にはもう握り返してもらえない手を握りながら迎えた最後の瞬間は、今でも鮮明に覚えている。

夜遅いこともあり病棟は静まり返り、なんだか空気は冷たくて、なんだか神聖な感じがした。神様が近くにいるってこんな感じなのかもしれない。

人生で感じたことのない張り詰めた空気のなか、家族のすすり泣く声だけが聞こえて、家族全員が母の呼吸音に耳を澄ませた。

ドラマでは最期に「愛してる」とか「ありがとう」とか最後の力を振り絞って言葉を残したあと、眠るように旅立つシーンがあるけど、現実は全然違くて。そう考えると母と話した最後の会話ってなんだろうって、記憶をさかのぼっているうちに、最初に呼吸が止まった。

そのあと、ゆっくりと心電図の波は小さくなり線となった。
母は60年ちょっとの人生に幕を下ろして、やせ細った体を手放し自由になった。

この1年間何度このシーンをリピートしただろうか。母の痩せた手の感触を思い出した回数は、数え切れない。

どうしてこんなにも悲しいことが、私の身に降りかかってきたのか理由が欲しくて「きっと誰かが悲しい時に私が痛みを分かち合えるように、私が経験しているんだ」とか「神様は乗り越えられない試練は与えない」「私だから乗り越えられるんだ」と何度も自分に言い聞かせた。

でも、その時の自分を納得させるための理由に過ぎなかった。

本当は、理由なんかない。
人生なんてそんなもんだ。
人生は不公平で、理不尽だ。

だから面白いし、だから悲しい。
別に人生を悲観しているわけではない。
ただ、乗り越えるために理由が必要なだけなんだ。

母が死んでも、世界は1ミリも変わらない。
誰かのために死んだわけでもない。

それを受け入れたら、なんだか心がスッと楽になった。

大切な人の死や人生は、奇跡や心温まるストーリーがあるんじゃないかと勝手に思い込んでいたけど、所詮それは全ての人生には当てはまらない。

「私のお母さんがガンで死んだ」それ以上でもそれ以下でもない。
事実はそれだけだ。そこに理由も、意味もない。

母のガンがわかった時も、「どうして私のお母さんが・・・」と理由を探して、理由がないからこそ納得できなかった。ガンになった理由も、原因も、何もない。揺るぎない事実なのだ。

他人からの感動ストーリーに応える必要はないと思ったら、肩の荷が降りた。それでも、寂しさも悲しさは癒えることはない。

故人への寂しさや悲しさは、愛情と比例している。
だから、それらの感情は故人を愛し続ける限り、手放すことはできない。

そう思うと、私はこの冷たい感情さえ愛おしい。
それらの感情が、母の存在の大きさを教えてくれる。

母が亡くなって、1ヶ月後に左腕にタトゥーを入れた。
折り鶴と母の誕生日。

この世では病気を治せなかったけど、今は病気が治っていますように。
私の体が在り続ける限り、母は私の体と共に歳を重ねられるように。
そして、私が自分を抱きしめるとタトゥーが私の心臓の上に重なり、母と繋がれるように。

母は死んだ。それ以上でも、以下でもない。
でも、その事実を大切にしたくて、母が生きた証を残したくて、母への愛情を母に伝えられない代わりに、私は文字を連ねている。

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