野良犬

アートを少しだけ勉強して、映画をみることが趣味で、時々旅をしながら、少し働いて生きてき…

野良犬

アートを少しだけ勉強して、映画をみることが趣味で、時々旅をしながら、少し働いて生きてきました。 なんとなく働き始めた書店で本が好きになり、辞めても辞めても、本屋から離れられず、今もまた一応書店でバイトをしている失われた世代の申し子です。どうぞよろしく。

最近の記事

人は人を失わない

ここのところnoteを書けていなくて、今日やっと京都の旅の続きが書けそうだとパソコンを開いた。 書く前にnoteのトップ画面に出てくる記事を眺めていたら、ふと目に留まったタイトルがあった。 わたしも本を読み始めた頃、江國香織と角田光代は図書館にあるだけ片っ端から借りて読んでいた。 神様のボートも対岸の彼女も一際、思い入れがある。 その昔、神様のボートの登場人物に似ていると言われたことがある。自分ではわからないけれど、その人からはそう見えたようだ。 それなのにこの「一

    • そういえば京都に行った

      秋も深まってきたが、住宅地生活をしていると紅葉を見ることがあまりなく、そういうシーズンだということをうっかり忘れがちだ。 三年前のちょうど今頃、紅葉シーズンの京都など観光のメッカだということも頭になく友人と旅行した話。 【2018年11月 二泊三日の旅】 わたしは熊本在住で友人は北海道在住だったので、現地で落ち合うことになった。 その友人とはかつて絵本作りを一緒にしたことがあり、いわさきちひろが共通して好きだったので『生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。』を見

      • この世は通過するだけのもの

        11月7日は立冬だった。冬が始まる。 弟夫婦の結婚記念日でもあり、12年前のこの日のことはよく覚えている。当時は北海道に住んでいたので結婚式のため熊本に帰省した。北海道から来たということもあるが、それにしたって異常な暑さだった。 結婚式ではフレンチスリーブのワンピースを着ていたのだが、何も羽織るものは必要なく、それでも汗が出るほど暑かった。それから北海道に戻ったら気温9℃で震えた。 北海道に住んでいたら極寒なので温暖化はわかりずらいが(でも確実に夏は暑くなっている)、九

        • 生きてるだけじゃだめなのか

          4ヵ月実家に帰っていない。 たいした期間ではないが、前はもっと頻繁に帰っていたので随分長い時間が経ったような気がする。 実家に帰ると何もしない。いや、日ごろから特に実のあることはしていないのだが、あれやこれやとやりたいことは山積みで。最低家事はやらなければならないし。それが実家に帰るとしなくて良いので(もちろんするに越したことはない)、食べて寝るだけの廃人になる。 頻繁に帰る目的のひとつは姪っ子に会うため。あまり懐いてはくれないのだが可愛くて仕方ない。どんなに造形が可愛

        人は人を失わない

          わたしの知らない世界

          10年ほど前の話。 とある定食チェーン店でタラの黒酢あんかけ定食をほおばっていると、一組の客が入ってきた。 店員「二名様ですか?」 客「4人です。」 え?そんな人数の見間違いある?と思って目をやると 父親が赤ちゃんを抱っこして、母親が子どもを乗せたベビーカーを押している。 うん、たしかに四人だ。 椅子に座るのは二人かもしれなくて、店員もそのカウントで二人と聞いたのかもしれないけど、人間の存在は四人である。 5年ほど前の話。 久しぶりの友人と、お洒落なカフェで

          わたしの知らない世界

          なやむのはいいこと

          この春、創刊された本。 タットヴァと読む。 ビジネス&カルチャーブックということで、たしかにビジネス色もあったが本屋だったら人文科学コーナーにも置きそう。 わたしはこの創刊号の特集に惹かれた。 『なやむをなやむのはきっといいこと』 字面が何か呪文みたいだけど、漢字にしなかったことにも意味があるように思える。「悩む」と「なやむ」では受ける印象が違う。「悩む」だと具体的な何かに悩んでいる様子。「なやむ」だと漠然とした何かになやんでいる様子。 物心ついた時からずっと

          なやむのはいいこと

          言葉では伝えられない感情

          仕事で本の出版お知らせメールが送られてくるのをチェックしている。 信頼できる出版社や、個人的に好きな作家さん、 知らないけれどなんだか良い気がする、 といった感じをメールから受け取ったら本を注文している。 売れるか売れないかは考えない。 そういう波に惑わされないで みんなが個々人の直感を信じる時代が到来するんです。 と、勝手に思っている。 この写真集とは仕事のメールで出会った。 風をこぐ  橋本貴雄   (モ・クシュラ) 写真家さんも出版社も存じ上げなかっ

          言葉では伝えられない感情

          見ているところはどこ

          すごく当たり前のことなのに30数年気づかなかったことがある。 ある日、友人と道を歩いていた時にふと、 「こうやって一緒に歩いていても見ているところって みんな違うんだよね」とつぶやいてみた。 その友人はすごく話に食いついてくれて しばらくそのことについて話した。 同じ景色を見ていても 焦点を当てるところや風景の切り取り方がひとりひとり違って、 それは無意識に自分の経験や興味に基づいた 視界を作り上げているのだろう。 今は歩きスマホがほとんどで、視界はスマホ

          見ているところはどこ

          読書記録

          『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』 Twitterでゲラ読み書店員を募集していてこの本が刊行されることを知った。 機を逸してゲラ読み応募はできなかったが、入荷してさっそく読んだ。 全盲の白鳥さんと著者とその友人が様々なアートを鑑賞する。目に見えるままに作品を言葉にして白鳥さんに伝えるというシンプルなやりとりが書かれている。 昨年の今頃、わたしは点字講座に通っていた。 講師は全盲の人。 毎回宿題が出され、打刻したものを見てもらうのだが、ある日のお題は好きな詩

          読書記録

          またひとつ時代の終焉をみた。

          福岡市の中心、天神地区。 そこに乱立するファッションビルの中のひとつ、イムズが8月末日をもって閉店した。 渡辺通りをはさんで東側に位置するその一帯は再開発地区であり、天神コアもビブレもジュンク堂も次々と閉店してきた。(ジュンク堂は移転。元フォーエバー21の建物に入ったのでシャンデリアが下がっている。) そして今回イムズも。 わたしは福岡に縁もゆかりもない、ぽっと出の移住者なのでそれほどの思い入れはないのだが、やはりなくなるのは寂しい。 平成元年にオープンして32年の

          またひとつ時代の終焉をみた。

          手が届かなかったモノが手に入るようになることは。

          子どもの頃、母親は専業主婦で料理も好きな人だったので何でも手作りのモノを食べて育った。 アトピーだったのもあり、食にはかなり気をつけられていたと思う。果汁ではないジュースを飲んだのは小学生も高学年になってからだし、お菓子は買ってもらえる時でも50円までだったので選択肢は限られていた。 50円では買えない憧れのお菓子というのがいくつかあった。その中でもよく覚えているのがペロペロキャンディ。ロリポップというやつだ。 Dr.スランプアラレちゃんが持っていて、おいしそうというよ

          手が届かなかったモノが手に入るようになることは。

          ハイネケンから思い出すこと。

          ハイネケンといえば、フジロック。 一度だけ行った。エミネムがきた年。随分前だ。 富山県在住の友人宅から車で。ホテルもキャンプも予約せず車中泊した。我々は一泊二日の参戦。山を甘くみていた。若いとはいえ、会場は途方もなく広く、疲れ果てての車中泊はかなりキツいものがあった。 一番奥のフィールドオブヘブンを目的に歩けど歩けど辿り着かない。着いた時はほとんど屍。見たかったアーティストに間に合わなかったのか、よく知らないアーティストを見たけどそれはそれで良かったという記憶。 レッド

          ハイネケンから思い出すこと。

          昭和を感じる夏の一日。

          招待券をもらっていたので行ってみた。 県立美術館はお気に入りの映画館の近くで、上映待ち時間に散歩に行ってみたことはあるけれど中に入るのは初めてだ。 繁華街の外れに位置しており、だんだんと人気がなくなっていく。 隣の須崎公園の中を通って、灼熱の日差しの中を歩く。 蝉の声、木々に降り注ぐ真夏の光、 喧騒を遠くに感じながら 人がまばらな公園の緑の中にいると 子どもの頃を思い出す。 まさに昭和の時代。 子どものわたしはこんな景色を見ていた。 県立美術館の古い建物に到着。

          昭和を感じる夏の一日。

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          日記を書くことは全然続かないけれど、 年々薄らいでいく記憶を残しておきたく、 過去日記を記していきたい。 若い頃は過去を振り返ることなんてほとんどなく、 振り返るべき過去もなかったのだが、 近年、未来を夢見ることが少なくなったことと比例して 過去を思い出すことが多くなった。 それだけ過去が増えたということなんだな。 しかし、脳内で思い返しても情景が一枚広がるだけで ストーリーがあるわけではない。 それを文章に起こしてみると 不思議と詳細が浮かび上がってき

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