見出し画像

言葉では伝えられない感情

仕事で本の出版お知らせメールが送られてくるのをチェックしている。

信頼できる出版社や、個人的に好きな作家さん、

知らないけれどなんだか良い気がする、

といった感じをメールから受け取ったら本を注文している。

売れるか売れないかは考えない。

そういう波に惑わされないで

みんなが個々人の直感を信じる時代が到来するんです。

と、勝手に思っている。


この写真集とは仕事のメールで出会った。

画像1

風をこぐ  橋本貴雄   (モ・クシュラ)


写真家さんも出版社も存じ上げなかったが

絶対にいいという直感が走った。


福岡の路上で事故に遭い怪我をしていた犬を拾って

福岡、大阪、東京、ベルリンを12年間共に過ごした。


もう、その事実だけで惹かれていたのだが

添付されていた犬のかわいさで見たい思いが募る。

かわいいという表現もなんだかしっくりこないのだが。


数日後、届いた写真集をさっそく開く。

レジカウンターの時間に開いたのでまわりには人もいて

ざわざわといつもの雑多な日常がそこにはあるのに

スッと写真集の中の世界に没入して

犬のフウちゃんを写真家の目線と同じように

見つめていた。

最後には目の奥がじんわりと熱くなり

店頭であやうく涙を流しそうになる。

静かに本を閉じて遠くを見つめてしまった。


本(写真集)を見てこんな気持ちになったのは

初めてかもしれない。

悲しい、悔しい以外の涙が湧いてきたのは一体いつぶりだろう。

まだ自分にもこんな感受性が残っていたとは。


家に帰ってあらためて見たら

なにか、自分でもわからない押し込められていた

ものが込み上げて噴出して自制できなかった。


自分が犬を飼っていたことと重ねたというのも大きくあるとは思うけど

それだけではない。

写真自体が持つ力で心が動いたのだと思う。

たとえ重ね合わせた情動だったとしても、

人の記憶や思い出を引き出すことは

芸術の目指すところではないだろうか。


それから写真家の橋本さんを検索したら

この本の出版記念で巡回展をやっており

なんとすぐに福岡でも写真展があることを知る。

とてもとても楽しみにして当日を迎えた。

初日、橋本さんが在廊されているということで

サインをもらおうと写真集を忍ばせて。


お友達がいらっしゃっててお話されていたので

タイミングを伺いつつ写真をじっくり見る。

またここでもじんわりしてしまった。


一通り見たら橋本さんの方から声をかけていただき

今しかない、とサインをお願いしたら快く書いてくださった。


写真の感想を言わなくてはと思ったけど

全然いい言葉が出てこない。

感動した。泣いた。

それはそうなんだけど

そこにいきつくまでの心の動きをどう伝えたら

伝わるのだろう?

この感情を伝えられる言葉がこの世に存在するのか?


全然うまく言えなかったし、何言ってんだか辻褄が合わないような

ことを喋った気がするが

橋本さんは真摯に耳を傾けてくれた。

わたしの不躾な質問にも丁寧に答えて下さった。

写真のまなざしの通り

優しく、穏やかで、あたたかい人だった。


言葉にならないことが絵画などアートと呼ばれるもので

表現されるわけで、

その感想を言葉にするというのはナンセンスな気もするが

仕事上、本の紹介をすることもあり

「言葉にできない」と説明するのは逃げのような

背徳感がある。


このnoteを始めたことも

自分の思いを言語化できるようになる練習でもあるし

話すことが本当に苦手なので

もっと言葉をたくさん持って

感情を乗せられるようになりたい。