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恭喜發財!平平安安!健健康康!

春節を迎え、益々の平安と健康を祈って施設にいる母へ会いに行く。

春節ということで、紅抱渡すにも母は「ここではお金は使えないから不要」というので、普段口にできない甘味、不二家の紅い苺のケーキを買って行った。
不二家は母の好物だったということが今になって理解できた。
昭和14年生まれ、田舎育ちの母には不二家は憧れだったのかもしれない。
幼い頃よく目黒駅前の不二家に行ったのは私が好きだったわけじゃなく母が好きだったからだ。

痛み止めで抑えながら1時間半ほど運転。
調子が悪いと痛みが出るので仕方ない。とはいえ、この症状も母がリウマチ持ちだったのももしかしたら影響しているのか。でも認知症になってからというもの、母はすっかりリウマチも消えている。眼鏡も要らず、毛薄も治ってふさふさの銀髪がとても優雅だ。認知症というものは、こうして体の悪いとこが治るのか?謎の多い病である。

私はといえば、相変わらず sapho  の症状に悩まされ、免疫抑制剤を避けているので痛み止めで堪えている。原因はストレスと疲労だというが、そんなのこんな世の中にいれば多かれ少なかれあるだろう。
思えば早いうちに子宮がんになって、転移と闘ったりしてのちにリンパ浮腫という後遺症にまで悩まされている身。その上の sapho  罹患には絶望しかなかった。
それでも、就労を諦めずにこうして生きていられるのも、母という存在は大きい。この人がボケていようが元気でいるのだから、私はへこんでいられない。
病の事、仕事の事、私の後に続く何かを継承バトンをどこかに託さねば、そのバトンを誰か拾ってもらえるくらい頑張らないと。故に働く立場でいること、就労を諦めないでいることは私にとっては大きなことなのだ。

そんな時、私にとって大きな支えは母という存在かもしれない。
家族という集合体は大嫌いだけど、母は私をこの世に産んだ、まさにかけがえのない存在であると同時に、家族を養ってくれた存在でもあるからだ。
母がいなかったら洞口の家は滅亡していただろうと思うほど、母の支えは大きい。母はいつも働いていた。食事をこさえ家中を掃除し、縫い物をして、自転車を漕いであちこちパートにも出かけ父の畑仕事も手伝い、空いている時間で趣味を楽しみ、神経質で待針一本ないだけでも家中を磁石片手に探しまくり、家計簿一円合わないだけで計算合うまで眠れないような、ちょっと壊れそうな人でもあったが、妻であり母であり女であった。休む姿がない人だった。私が女優になってから少しお金が入ると一緒に旅をした。母は旅が好きだった。車窓を楽しみ、異文化を土地の植物を愛した。帰る時にいつも泣いていた。もう2度とここには来れないかもしれないのよねとかいいながら。(そんな大袈裟な……また連れてくるよと私が宥めるので私は時折男になったほうがいいんじゃないかなとジェンダーフリーなのかなと思う私は母がきっかけかもしれない)

 そんなこんなで、母が認知症になったのは、もう私たち家族の面倒に疲れてお役目御免と閉店シャッターをおろしたんだと思っている。至極納得、超絶お疲れ様なのだ。

いつもより饒舌でよく笑う母。
絶好調の母の姿を前に、手首の痛みなどどっかすっ飛んだほど嬉しかった。
母は私を産んだ記憶を失っている。
私は彼女にとって妹で、母は時折女優だったり裁縫の師匠だったりヘアメイクさんなどを束ねる女社長だったりさまざまに職業を持つ働く女性だ。
結婚はしていないといい、かつての夫を「あんなわがままでは嫁の来手がないわね」などとどこか近所の幼馴染か親戚筋のように話す。
私も話を合わせている。今日は猫の話に夢中だった。

特別に許可を得て園内を車椅子で散歩。
満開の梅見をした。
小梅、蝋梅、あちこちから梅の香りがした。
少女の頃、冬の山路を歩いていた時によんだ歌がある。
年賀状にイメージの挿絵と共に綴った。
器用で勉強ができて笑顔が愛らしい母に比べると、不器用で無愛想で取り柄もなかった私に、そんな時母はちょっと誇らしそうだった。

初春の山に出立ち
いと匂う
山路の後の梅の香かな

梅があちこち咲いているのを母と一緒に眺められる今年のなんと幸せなこと。
梅は花も愛らしいが枝ぶりの魅力だ。そして何といっても香りが素晴らしい。
一緒に梅の香りを楽しんでポカポカのおひさまに照らされて、年老いた母娘がまるで子供のようにはしゃいでおしゃべりして楽しかった。
会話を楽しめるというコミュニケーション、疎通できることが本当にありがたい。認知症の家族を持つ人ならわかるだろう。
こんな時間をもっとこのひとと過ごしたい。

「また来るね」
別れ際に大きな眼に涙を溜めていた母。
陽気で観察好きで猫のことばかり飽きもせずしゃべっていて、貰った果実や花びらを大事に手のひらに持っている。
きっとこんな少女だったんだろう。
認知症になって本来の母の姿が顕になってきている気がする。
大人とか母とか妻とか関係ない、子供がえりした母。
私は愚妻で大人でもないし母でもないけれど、何か寄り添っていい時間を共有できればいいかな。私の母の世話をしてれているスタッフにも挨拶をして帰った。

な訳で、春節を家族で祝う三連休の1日目が終わった。
ささやかな短い時間であったが、それはどんな時間よりも私にとって安らかで平和で愛のある大事な時間であり、エネルギーチャージの時間でもあった。


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