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追いつけない背中

 すぎやまこういちさんが亡くなった。

何から語れば良いのか、こうした感情の飽和状態時は毎回悩んでしまうのだが、まずは長年に渡り永遠に追いつけない背中を見せつけつつ、数々の名曲を作り出してきたこと、本当にお疲れ様でした。

僕も世界中にたくさんいるであろう、彼が遺した繊細で大胆な、理知的でありイノセントさも持ち合わせた不思議な魅力のあるアプローチ手法から多くのインスピレーションを受けて育ってきた一人。気づけばいつも隣にはドラクエの音楽が流れていたし、口ずさんだりしてきた。

特に、世代的にやはりファミコンで発表されたⅠ〜Ⅳまでの楽曲。当時は幼少でもある環境上、サントラの本オケなどを先に聴く機会もなく、発売されたゲームの中で氏の楽曲を純粋に「電子音の旋律」として聴き、曲の良さに震える。

その後、クラシックというフォーマットがまずありきで、旧世代ゲーム機の制限された和音世界に無駄が一切ない形でコンバートされている状態だということを、オーケストラを聴いて改めて思い知り、「良さ」が「美しさ」に変わることで、さらに震える。このある種 "逆輸入的" 感情体験は、少なくとも僕にとってはドラクエでしか得ることがなかった。

 そういったこともあり、まずゲームを遊びながら「これがフルオケ版になったらどのような楽器・アレンジが施されているんだろう?」と想像することが少年期の一つの楽しみになっていたし、その楽しみはファミコンの最終作である Ⅳでいったんの極みに達する。

充分に物心もつき、ドラクエ耐性やある程度の所作も身についた小学校高学年において、Ⅳを遊んだ時に今までのドラクエとは明らかに違う "洗練" と "職人的技巧" を明確に感じたことは、今も決して忘れない。

変拍子はもとより擬似ディレイや高速アルペジオ、果てはダイナミクスまでをふんだんに使い極限まで挑戦したであろう戦闘曲(生か死か)を初めてゲームを通して聴いた時は子供心に心底驚いたし、気球曲(のどかな熱気球のたび)を通して、初めて「ファミコンのループをまるまる口ずさめないくらい複雑で入り組んだ長尺の渋み」を感じるといった新鮮な心境に至ったりと、本来の表現 / デフォルメを逆手にとったかのような立体的な魅せ方といったものに対して感動を覚えることが出来た経験は、僕にとって財産だと思っている。何というか、後年ライヒを聴いた時のような稲妻感覚に近いのかも知れない。

いずれにせよ、これについてはすぎやま先生だけではなく、音色選びから技術処理の部分までを担ったサウンドプログラマーの人も素晴らしく、本当に頭が上がらない。

 ハードの性能も上がり、可聴表現の幅もそれに伴い増えていくことでよりフルオーケストラに近い、もしくはそのままの状態で氏の楽曲を聴くことになるが、どうしても僕にとっての真骨頂は、制限されたあの 8bit 空間で鳴っていた方になってしまうのは否めない。とはいえ、総合的にゲームの性能が上がるきっかけとして音楽が持つ力は不可欠で、いち早くそのゲーム音楽の可能性に気づき、あくまで娯楽産業の一つだったものの立ち位置を、日本を代表する文化にまで押し上げた氏の功績は計り知れない。

長年に渡り僕の背中でい続けてくれてありがとうございました。もちろんこれからも追いかけていきます。どうか安らかにお眠りください。

今日はこんなところで。

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