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言葉がゆっくりな娘と、カメラ

娘は、春がきて、少し会話が出来るようになった。

1歳半検診のとき、声をかけても反応がなく、意味のある言葉が出てこなくて、療育を受けるようになった。(療育では、発達の遅れが見られる子どもに対して、日常生活を送る上で必要な支援を行う。)娘は2歳から、区の児童発達支援の施設に通っている。

最初の1年間は、親子で療育に通った。わたしは、言葉を使わないコミュニケーション、視覚での支援を学び、娘は言葉を使う喜びを知った。本当に色んな先生の愛情を充分過ぎるほどもらって、おかげさまで、娘は表現豊かに育ってきたように思う。

療育は娘の個性を、とても大切にしてくれる。我が道をゆく娘に対して「そのまんまのあなたでいいよ」と、海のような寛大な心で、娘を受け入れてくれる。一見すると、ワガママとも捕らえられがちな個性を尊重されて嬉しく思うし、のびのびできて羨ましいとさえ思うときがある。

娘が、言葉を使うコミュニケーションの楽しさがわかって、初めてわたしを「ママ」と呼んだのが、3歳の夏。それから「ママ、Where  are you?」と、わたしを探すときに文章になった。娘は、英語の方が発音しやすいが、日本語も話せるようになった。今では、ある程度決まった会話ならできる。夢のような大進歩だ。

そんな娘が、突然、カメラを持って写真を撮リ始めた。かつて赤ちゃんだった時期も、シャッターボタンを押して遊ぶことはあったけど、そのときはレンズの前にあるものが写っているだけだった。カメラに興味をもってからは、手が届く場所に、娘専用の小さなミラーレス機を置いていた。

ある春の日、娘は自分のカメラを首からぶら下げて外に出た。外に出ると、桜が満開だった。

そして、桜に向かってシャッターボタンを押した。

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自粛でお花見もできなかった春の、斜陽のなか静かにゆらめく桜の写真が撮れていた。

その写真はとても美しく、言葉を持たなかった娘の本質に触れたような気がして、わたしはなんとも言えない、深い感動に包まれた。

この桜は、娘が生まれて初めて見た桜だ。わたしは春がきて、この桜を見るたびに「きれいね」と娘に話しかけていた。娘はいつも反応がなくて、聞こえているのかどうかもわからなかったけど、今までそうしてきたように、何度でも「きれいね」と言い続けていた。

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娘は桜を撮ったあと、「きれいね」と言った。娘の口から、"きれいね" という言葉が出たのを、このとき初めて聞いた。

〜言葉はうまく出てこないけど、聞いてるし感じてるよ。話さないけど、心の中はおしゃべりなんだよ〜と、娘の気持ちを、カメラがかわりに教えてくれているようだった。

ああ、そうだった。言葉ばかりがすべてじゃないのに。言葉にならないことが、写真にはうつるのに。わたしは写真のそういうところが好きで、カメラを始めたのに。

わたしがずいぶん長い間、忘れていたことかもしれない。でも一番、忘れたくないことかもしれない。喉の奥が熱くなった。鼻の先がツンとして、声をあげて泣きたい気持ちを必死でおさえた。

写真は、わたしたちの言葉だ。

娘の視点は、見慣れたいつもの道を新鮮にとらえていた。あらためて、こんな風に見えているんだと知った。毎日そばにいて、同じ道を歩いているのに、わたしには見えていない、娘が感じていることがたくさんあった。

わたしの半分くらいの背の高さで、まっすぐ見たり、見上げたり、見下ろしたりしている。にこにこしながらカメラを持って、ときどき走って追いかけながら、シャッターを切っている。カメラの中には娘の世界が拡がっていた。

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娘は、好きな風景や瞬間を切り取って、見えたもの、感じたことをカメラを通して教えてくれる。無言のままで、ただ、にこにこと笑って。

うまく話せなくてもいい。

そんなふうに少しずつ心を拡げて、どこまでも前に進んでいくのだろう。

写真:Michel (4歳)




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