スカイウォーカーの夜明けは同調圧力の犠牲者だと決めつけてみる

同調圧力が強い。日本社会の特徴だとが病理だとかいろいろと言われる。スターウォーズ9・スカイウォーカーの夜明けを見ていて、僕は日本社会のような同調圧力を感じた。圧力をかけたのは日本社会じゃない。圧力をかけたのは全世界のスターウォーズファンだ。
スターウォーズファンの中で一番声が大きくて多数派なのは、現在40代50代の元祖スターウォーズファン。彼らは最初の三部作、エピソード4・5・6が大好きだ。逆に次の三部作1・2・3は嫌いな人たちだ。
だから7を作るとき、ルーカスからスターウォーズを引き継いだ製作陣は、1・2・3は忘れて4・5・6みたいな映画をとりあえず作った。7には4・5・6が全部入ってる。それは大歓迎された。大歓迎されたので8では少し冒険をした。4・5・6を否定するようなスターウォーズを作った。ところがそれは酷評された。
だから9はまた4・5・6みたいな映画に戻った。また4・5・6が全部入ってる映画だ。ファンから受けた同調圧力は、9の画面から確認できる。敵と味方の壮大なる最終決戦。それなのにその画面が暗くて狭いのだ。
まるで周りからぎゅうぎゅうと圧力をかけられているように。宇宙の戦いのはずなのに雲に囲まれて狭く、星も見えずにとても暗い。そこに宇宙船が押し込められてすごく窮屈だ。学校や職場の同調圧力に小さくなっているいじめられっ子や窓際サラリーマンのように。

今、9を酷評している日本の映画評論家のほとんどは7を絶賛をしていた。ぼくは彼らに落とし前をつけてもらいたい。彼らのほとんどは7の時に絶賛したことを忘れたように9を酷評している。しかも7を絶賛したのと同じ理由で9を酷評しているのだ(ちなみに、8のことは忘れたようだ)。中には7から懐疑的だった評論家もいるし、7を絶賛したことをちゃんと振り返っている評論家もいる。でも大多数の評論家は7を絶賛したことを忘れて(忘れたふりをして)9を酷評している。
今回の日本の映画評論家たちの変節は同調圧力以上の日本の病理の証明ではないか。日本人は過去の自分の言動を分析したり反省したりしない。なかったことにして忘れてその場その場の反応をする。
それはワイドショーを見ているとよくわかる。ある有名人が持ち上げられる。同じ有名人が何かのきっかけで叩き落される。叩き落とす時、ワイドショーのコメンテーターは、かつて持ち上げたことを振り返らない。かつてその有名人を持ち上げたことは忘れて叩くことに集中する。
そしてまたほどぼりが冷めたらまた、持ち上げたりもするのだ。

と、ここまで世界の多数派ファンや日本の評論家を一方的に決めてつけで責めておいて、自分の意見を書かないのは卑怯なので書く。
僕は多数派同様に4・5・6が大好きだ。1・2が公開された時はちょっと違うと思ったし、スターウォーズは面白くなくなったと思った。ここは正直に書いておく。ルーカスの意図を読めない僕はバカだった。だけれども3が公開されて最後の1ピーズがはまった時に、スターウォーズは6作でひとつだと理解した。それから1・2も大好きになった。
7は最初から嫌だった。4・5・6のコピーで新しいものがほとんどなかったから。8は好きだった。これくらいファンに挑戦をしファンを裏切るのはスターウォーズの精神の少なくとも一部は引き継いでいる。そして9は…同調圧力の犠牲者で、ファンへの生贄だ。
自分がこれからもフォースと共にあるために、僕はもう一度圧力でぎゅうぎゅうと押し縮められたスカーウォーカーの夜明けを観に行く。スターウォーズファンは「同調圧力が強い」じゃなくて「フォースが強い」と言われたい。スターウォーズを同調圧力から解放したい。
スカイウォーカーの夜明けを受け入れるために月曜日、3度目の鑑賞に行く。お布施としてIMAX3Dに2400円支払う。それが僕のスターウォーズへの恩返しだ。

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