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僕が社会の分断に加担していたことに2本の映画で気づいた話

社会のあらゆるところで分断が起きている。
という文面はちょっと疑った方がいい。
分断が起きていることが具体的に見えるのはインターネット上。

インターネット上での言説や現象は、現実を捉えている面もあるだろう。
だからといって、それが全部現実ではない。
誇張された現実、現実をデフォルメしたものと思っておくくらいがいいんじゃないか。

一昔前に多くの人が現実と信じていたテレビの中の出来事が演出によって誇張されていたように。
とはいえ、インターネット上で見えるほどではなくとも、分断は起こっている。
そして僕は分断はできるだけしないほうがいいなぁと思ってる。

でも僕は分断に加担していた。それにハッと気づいた話を書く。
僕はスターウォーズが大好きである。それもジョージルーカスが作った最初のスターウォーズが。
スターウォーズはジョージルーカスが世に訴えたいことを映画の形にしたもの。

ジョージの人生と哲学が反映されている。ジョージルーカスにしか作れない映画だと思っていた。
だから、ディズニーがスターウォーズの権利を買って続編を制作すると聞いた時、とても不安だった。
不安は的中した。

ディズニー作のスターウォーズ映画の一作目(フォースの覚醒)は、僕にとってがっかりする出来だった。
(以下、あくまでも僕の感想です)
オールドファンが喜ぶファンサービスてんこ盛り。
受け取るメッセージは「スターウォーズファンってこんなんが好きなんでしょ?」だけ。

作り手が訴えたいメッセージはひとつも感じられなかった。
でもその映画は大ヒットした。この映画を見て喜ぶスターウォーズファンが多数派だった。
そして、この映画からスターウォーズを好きになった新しいファンも獲得した。

商業としては成功だろう。
でも僕は映画作品としては全く評価できなかった。
正直、これを喜ぶファンは映画のことがわかってないとまで思っていた。

それから7年後の今年1月、スパイダーマンの新作(ノーウェイホーム)が公開された。
この映画もディズニー作のスターウォーズと同様に大ヒットして、絶賛するファンが多数派だった。
そして、僕は絶賛する多数派だった。

スパイダーマンに関しては、僕はスターウォーズほどの思い入れがないからかもしれない。無邪気に楽しんだ。
でも、この映画も評価しない少数派はいた。
ファンサービスしかしていない映画。スパーダーマンの精神を引き継いでいない。映画として認められない。と。

確かに、このスパイダーマンもそんな映画だったかもしれない。
僕ははっとした。感想は真反対だけれど、彼らの言うことはよく理解できたのだ。
スターウォーズにおける僕と立場が逆なだけで、意見は酷似していたから。

スパイダーマンとスターウォーズで僕の立場は正反対だった。
スパイダーマンを評価しない少数派も、ディズニーのスターウォーズを評価しない少数派も、言ってることは同じだった。
立場が変われば評価が変わる。自分と反対の感想を拒否することは世界を分断させる。


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