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ジンジャーエールで乾杯した相棒 #あの夏に乾杯

書くンジャーズ、今週のテーマは『#あの夏に乾杯』。
なんだけれども、僕はお酒がとても弱い。
弱くても乾杯の場面にはよくいるし、弱いながらも飲むこともある。

夏の乾杯の場面、迷いに迷って今はもういない相棒のことを書くことにする。
彼と出会ったのはちょうど10年前。
パパの子育てを応援するNPO法人、ファザーリング・ジャパン(FJ)の会員同士として。

その会には関西在住のFJ会員パパが6人集まっていた。
その会の中では僕は彼とあまり話さなかった。
おしゃべり好きがたくさんいて、僕も彼もその中では無口な方だったのだ。

彼も僕と同様にお酒じゃなくていつもジンジャーエールを飲んでいた。
お酒に弱かったのか、常に車移動だったのか、理由がどっちだったのかは忘れた。
関西のパパたちは意気投合して盛り上がった。

それからすぐ、FJの関西支部(FJK)を立ち上げて、僕も彼も最初の理事になった。
そして1年後に兵庫県の事業をFJKで受託する。
僕が代表として、彼が事務局長としてFJ関西を運営していくことになった。

それから3年間、彼とFJKの活動を共にした。
彼はクールだけど熱い、とてもたよりになる事務局長だった。
彼がいたからこそFJKは運営ができていたと言っても過言じゃない。

僕は彼に頼っていたんだけど、彼はいつも僕を立ててくれた。
「和田さんがいるからFJKは回ってるんです」
その言葉はそのまま彼に返したい。

彼との最後の活動は6年前の夏。山の上の古い遊園地でやったお化け屋敷。
パパたち手作りのお化け屋敷には、その夏いちばん多いお客さんが集まった。
彼は嬉しそうに霧吹きを持って、幕の隙間からお客さんに霧をかけてびっくりさせていた。

そのお化け屋敷の3日後に、彼は亡くなった。
32歳で亡くなった彼には妻と一人息子、そして妻のお腹に残した双子の女の子がいた。
人は突然いなくなることもある。

彼の名前は井岡和海。
またジンジャーエールで乾杯したかったよ。井岡さん。
とりあえず今夜はひとりで乾杯しとくわ。あの夏のお化け屋敷を思い出しながら。

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