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ぬるま湯につけられて喜んでいてはいけない

コンテンツには2種類ある。
受け手の心を熱湯で刺激して鼓舞する「覚醒コンテンツ」と、受け手の心をぬるま湯でとろかして怠け者にする「麻酔コンテンツ」だ。
山田礼司のヤングサンデーで提唱された定義。

何が覚醒で何が麻酔かは人によってズレがある。
けれども、自分がハマっているコンテンツが覚醒か麻酔かは自覚しておいた方がいい。
という前置きで僕が考える覚醒コンテンツと麻酔コンテンツを書く。

多くの作品の1作目は覚醒コンテンツだ。
そしてほとんどの作品の続編は麻酔コンテンツだ。
1作目は新しい。見たことがないものだから刺激がある。

続編のほとんどはファンの「またあんなのが見たい」に応えたもの。
つまりぬるま湯だ。メジャーなところで例を挙げる。
ジャンプに連載されていた最初のドラゴンボールは覚醒コンテンツだった。

でもそれから続々作られ続けている、今のドラゴンボールの漫画やアニメは麻酔コンテンツ。
1990年のジャンプに掲載されたフリーザ編は覚醒コンテンツだった。
2015年にフリーザが再登場した映画「復活のF」は麻酔コンテンツだ。

この定義に対しての異論は認めるし、今のドラゴンボールが好きなのも理解する。
僕は「復活のF」に魅力を感じなかった。
また同じことをしている、ファンの期待に応えたぬるま湯を作っていると感じた。

僕は覚醒コンテンツが好きだ。
でもごくまれに、続編が麻酔コンテンツにならないシリーズがある。
これもメジャーどころから挙げる。

スターウォーズとガンダムだ。
ただし、監督限定。
ジョージルーカスが自ら作ったスターウォーズの続編と、富野由悠季が自ら作ったガンダムの続編は覚醒コンテンツであり続けた。

ジョージルーカスからディズニーに引き継がれてからの映画「スターウォーズ・フォースの覚醒」と、宇宙世紀をやり直す「機動戦士ガンダム・ジオリジン」は僕にとって麻酔コンテンツだった。
ファンの夢を叶える作品。夢は生ぬるいもんだ。
そして今、覚醒コンテンツから麻酔コンテンツに堕ちようとしている作品がある。

スターウォーズのドラマシリーズだ。
1作目の「マンダロリアン」シーズン1は、刺激が強い覚醒コンテンツだった。
ところがドラマシリーズ2作目の「マンダロリアン」シーズン2から、ファンが期待するものを作るようになってきた。

そして3作目の「ボバフェット」の中にまで、「マンダロリアン」ファンへのサービスをねじ込むようになってきた。
ファンは喜ぶかもしれない。だけれども、ファンが喜ぶ作品は程なく堕落して行く。
ファンを裏切り続ける作品こそが、作品の質をキープできるのだ。

ジョージルーカスと富野由悠季がそれを証明している。
僕はぬるま湯を支持しない。
製作者がぬるま湯に浸からせようとしてきたら怒る。


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