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映画はわんこそばじゃない 〜『ザ・スーパーマリオブラザース・ムービー』この映画でもゲームでもない体験〜

また書いてら。
「続編希望!」「次はいつ?」「すぐ続きが見たい!!」
公開されて間もないのに。ほとんどの人は一回見ただけなのに。

もちろん別に書いてもいい。「酷評」なんかよりは全然いい。映画の楽しみ方は自由。
でも僕はこう言う書き込みにイラッとするということを書きたいので書かせてもらう。
手間暇かけて作った料理を味をちょっと舐めただけで「はい次!」って。わんこそばじゃないんだから。(わんこそばもおいしい)

何の話かと言うと、『ザ・スーパーマリオブラザース・ムービー』のレビュー。
面白い映画だったから、続編が見たいというのはわかる。
だけれども見てすぐにそれを言うのは映画の消費、使い捨てじゃないか。

見る側は見るだけだから気楽なもんだ。
マリオの映画は単純に楽しく見られるから、あんまり何にも考えずに作ってるような気がするかもしれない。
だけれどもこの奇跡のバランス。作り手は七転八倒して作ってる。

あれだけスイスイと90分、飽きることなく引っ掛かることなくワクワクできる映画。
しかも原作はゲームで、まるで大画面からゲームの世界へ飛び込んだような体験ができる。
一見、作るのもスイスイ作れているように見えるかもしれない。

でもゲームと映画は全然違うもの。
マリオ公開初期に、評論家の酷評と観客の絶賛のギャップが話題になった。
そりゃそうだと思う。

マリオはゲームの映画化じゃなくって、映画でゲームの体験をさせる。
これまでの映画とは全く違うエンタメだ。
映画評論家が評価できないのは当たり前だし、それでいいと思う。

おまけにこれはゲームそのものでもない。観客がキャラクターをコントロールできないから。
なのにまるでマリオと一緒に飛んだり跳ねたり冒険している気分になれる。
ゲームならプレイヤーがマリオを動かしてくれる。

だけれども映画のマリオは作り手が動かさなくてはいけない。それを90分持続することの凄さときたら!
これを成立させるのに、作り手がどれほど苦労して工夫して調整したか、想像すると気が遠くなる。
奇跡的なバランスの上にできているのがこの『ゲーム映画』なんですよ。

このマリオに限らず、面白い映画のレビューにはすぐに「続編希望!」という書き込みがされる。
僕は思う。続編を希望する、その前に目の前にある映画を味わい尽くしたのかと。
含んで噛んで味わって、喉越しを楽しんだら反芻してまた味わって。

素材と作り手に想いを馳せて、調理方法を想像して。
なぜこんなに美味しいのか考えて。
映画を一回見ただけで「面白かった!次っ!!」ってなる前にすることが沢山あるだろう。

めっちゃ面白かったのなら何度も見る。
次から次へと新しい映画を使い捨てにするんじゃなくって、一本の映画を味わい尽くす。
いや、いいんですよ。一回見ただけの映画に「続編希望!」って言っても。

言論の自由がある国、思想の自由があることになっているネット世界ですから。
言うのは自由です。映画をどう楽しむのも勝手です。
ただ、気まぐれな観客のために続編を作る責任は作り手にはない。

作り手はすでに一本の映画を作って全力を出し尽くした後なのだ。
だから、もし、好きな映画の続編を作ってくれたなら、作り手に感謝だ。
さらに言っておくと続編のほとんどは1作目を超えられない。

観客は簡単に「前みたいなの作ってくれたらいい」という。
だけど「前みたいなの」を作ったら確実に前より評判落ちます。
なぜなら、気まぐれな観客はもう飽きているから。

そうそう、最後にもう一つだけ。
『ザ・スーパーマリオブラザース・ムービー』の続編はいつ!?
(ごめん。マリオまだ一回しか見てないのに)

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