見出し画像

私は怠け者のズボラちゃん

少し前から子どもたちだけ先に実家に帰っていて、15年ぶり!?のひとり暮らしを満喫しまくっています。

ひとりカラオケで4時間半も歌ったり、自分の服を作ってみたり。
見たいだけ動画を見たり、ビールを飲んだり。(ビールはいつも飲んでるけど)

子どもたちは二人とも小学生なので、なんだかんだで朝から晩まで子どもペースで生活してるんだけど、子どもたちが不在になったら、驚くほど自分が時間にルーズになりましてねぇ。

ちょっと自分でもびっくりしてるんですが、時間にルーズというか、「時間を気にしない自分」が出てきて、新鮮な驚きを感じています。

物心ついた頃から「しっかりしてる」と言われてきたし、自他ともに認める真面目な性格で、やるべきことはきっちりやるし、先手先手で行動してきたから壊滅的な失敗はしたことないんだけど、たぶんこれって全部をナチュラルにやってたわけじゃなくて、特に行動面は後付けスキルなんじゃないかと思って。

計画を立てて逆算して行動できるとか、準備を抜かりなく行うとか。

それができるようになったら、その方が心地よいからそっちを選んでただけで、元々は苦手だったんじゃないかなぁ。実は。なんて思うわけです。


無自覚に他人軸で生きてきた話は今までにも書いたことがありますが、誰にも見られていない場所ですら、「自分らしさ」を「他人から期待された自分」だと勘違いして、いつもうっすら何かに追われて生活していたんじゃないかと、今子どもたちと離れて暮らしてみて思うわけです。

自分に一貫性を持っていたかったというか。
その一貫性を優先させてしまって、本来の自分を見ていなかったというか。

何か目標を立てた時に、そこに向かって逆算でストイックに行動し続けることができるのも私だし、それは強みでもあると思うけど、何もなければ結構ズボラで怠け者なんだと思います。

ひとり暮らしになったら、毎日洗濯して干そうとか思わないし、毎日食器を洗おうとすら思わないし、毎日ごはんを作ろうとも思わない。

毎日洗濯するのも、毎日食器を洗うのも、毎日ごはんを作るのも、「子どもとの生活はそうしていたい(現実問題、毎日やらないと次の日困る)」と思うからで、自分ひとりなら「やりたくない」んです。
ここ数日の怠けっぷりは、10年以上続けてきた母業の反動もあると思うけど。


こうやって文章にしてみると「みんなそんなもんだよ」とか「いや、ひとりならそうなるでしょ」って思うし、なんかうまく文章にできてないのがもどかしいんだけど、私にとっては「私って怠け者じゃん」ってナチュラルに思えた(それを自分に取り込めた)のは、すごく良い経験だと思っています。

「欲」へのアクセスができた感覚。

毎日毎日子どものことを気にして生活する中では、手を抜いたり気を抜いたりしていたつもりで、全然できてなかったんだなーと思います。

親だしワンオペだし、それはそうなるよなーとも思うけど。


バランスをとりながら暮らすって本当に難しいから、だからこそ「ナチュラルボーンの私はこんな感じ」という感覚を持っていることって大事だと思います。

今回、自分が怠け者でズボラだという感覚を手に入れたおかげで、子どもたちとの生活に戻っても肩の力が前よりも抜ける気がする。

子どもたちを迎えてくれた実家に感謝感謝です。

お土産たくさん買っていこう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?