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あっぷるとぐーぐるとけいざい。

【日本ではなぜiPhoneのシェアが高いのか】
iPhoneが最初に出た当時(2007年)から約5年くらいは、日本では、毎月の本体分割払いができたから、多くの人にiPhone(iOS - 以後は本文ではiPhoneとして書く)が広まった。他の国や地域では本体は一括払いをすることが普通だったので、その地域の「普通の人」にはなかなか手が出ず、シェアが伸びなかった。だから、日本だけiPhoneはシェアを順調に伸ばしていった。この背景には「先進諸国の中でも日本経済が比較的良くて安定していた」という事情がある。そのため、世界のどこかで地域紛争があれば、日本円の「買い」が始まって「円高」が進んだ。高度経済成長期は終わっていたものの、この盤石な日本経済を背景に、多くの人が欲しがる消費財を買うための「借金(債務)」の返済は、諸外国よりも確実なものであると思われており、そのためにローンも組みやすかった。そのため、iPhoneの価格は「かなり高い消費財」ではあっても、それを分割払いする盤石な経済が日本にあったため、iPhoneは多くの日本人が「高くても(ローンで)買えた」。これは日本の特殊事情、と言っても良い。結果として、スマートフォン市場でのiPhoneのシェアも上がった。言い換えれば「日本では盤石な経済が一般庶民の多くにiPhoneを気軽に買える環境を提供していた」のだ。それが日本でのiPhoneのシェアを上げた大きな要因だ、と、私は思っている。

【しかし、現在のiPhoneのシェアは低下中?】
とは言うものの、2022年現在でのiPhoneの日本国内シェアは、出荷台数ベースで50%弱、というのが各種統計を見るとわかる。調査会社にもよるのだが、ある調査によれば、2019年のiPhoneの日本国内でのシェアは約70%、となっている。これは、WebサイトなどをアクセスするOSで見ているものが大きな値を出している。出荷台数で見るのか、ポータルサイトなどでのアクセスを見てOSで判断するのか?など、調査には様々な方法があることは言うまでもない。ポータルサイトなどをアクセスするスマホのOSで見ると、かなり古いスマホも使っている人がいるから、古いスマホを長く使っているほうが「シェア大」となるし、出荷台数で見ると、より先進的で安価なスマホのほうが「シェア大」となる。これらの統計を通して見ると、やはりiPhoneのシェアは落ちている、と言って良い、と私は思う。更に出荷台数には中古品は含まれないとなると、数字のベースとなっている調査方法なども見ておく必要があることは言うまでもない。

【2019年から2022年ともなると「差はない」】
しかし、2019年ともなると、使い勝手とかサクサクさ、みたいなことで言えば、既にこの時点で両者の差はないと言って良いのが現状だ、と私は思う。自分は仕事でもあるので、iPhoneもAndroidも使っているが、高級機種しか無い、というiPhoneをAndroidの機種と比較するときは、Androidも同価格のものを比較する必要がある。「使ってみました」みたいな「感想」レベルだと「それまで使っていたから、慣れたものが使いやすい(と思う)」ということくらいで「違い」は語られる。学習能力が高く、素早く環境に適応できる人はそう多くはなく、この「慣れ」があるため、スマートフォンの最初の時期に日本で広まったiPhoneはシェアを維持できている、とも考えることができる。「最初にその分野で取ったシェア」は、やはり強い。

【しかし逆転が始まった?のかもしれない】
とは言うものの、最近は日本のスマートフォン市場を見ると、iPhoneとAndroidでは、Androidに優位性が出てきたように、私は感じている。簡単に言えば「iPhoneでは15万円するけど同じ性能のAndroidは10万円以下で買える」である。特に驚いたのは、Googleがそのブランドで2022年7月末に出したAndroidスマートフォン「Pixel6a」だ。5万円という価格で、10万円以上のiPhoneかと思えるパフォーマンスが出ている。細部を見ればもちろん差は出てくるが、これまでのiPhoneのユーザーの多くが「これで十分」と言えるものを、あの価格で出してきた。あとは使っている人の「慣れ」の問題だ。そして、「コスト」はやがて「多くの人を変える」。

日本人の多くの人にとっては、

5万円のPixel6aにして、それに使い慣れて10万円を浮かせて豪華な食事をするか?15万円を出してiPhoneにして「iPhoneを持つ満足」を得るか?

そんな選択が始まったのだ。

【その昔:銀行ATMで起きたこと】
キャッシュレスが進んだ、とは言うものの、まだ現金決済は多い。今は銀行でお金を引き出す、というと、ATMを使うのが当たり前だ。しかし、そのATM全盛に切り替わるとき、腰の曲がったおばあちゃんが銀行でお金を引き出すのに窓口とは使い方の違うATMで現金を引き出すのを見た。使い方がわからなくて、あたふたしている。知人のおばあちゃんだった。聞けば孫ができたので息子のお祝いに、と、十万円のお金を引き出すという。であれば、窓口に行って、数百円の手数料を上乗せして、昔通りに印鑑と通帳で窓口で引き出せますよ、と教えて上げたことがあった。そのとき、おばあちゃんはキャッシュカードに加え通帳も印鑑も持っていた。が、おばあちゃんは10万円に対しての数百円の手数料が惜しいという。だから、ATMの使い方を教えてくれ、とのことだった。そして、数日後に同じおばあちゃんに、また銀行で会うと、おばあちゃんはすっかりATMの使い方に慣れているのがわかった。「慣れ」と「お金」がそういう関係であるならば、スマートフォンもすぐにコストで市場が変わる、と思うのだが、どうだろうか?

【それがわかっているから、というAppleの生き残り】
人間の「慣れ」はたとえコストに見合わない場合でさえ必要と感じられれば変わるものだ、というこの現実から見れば、時代はおそらく変わるだろう、と私は思う。

こんな時代に、Appleは「1万円も25万円も同じもの」と思えるくらいの「金持ち相手の商売」に鞍替えしたのだ。庶民に分割払いで高額なものを買ってもらえるほど盤石だった日本経済ではもうすぐなくなりそうだし、という思惑もあるのかもしれない。Appleが日本の庶民から離れたのではなく、日本の経済がAppleを一部の金持ちを市場とする企業にしていくのだろう。日本は他の国と同じ「普通の国」になり始めたのかもしれない。

【時代は変わる。役者が変わる】
その時代の変化を先取りして、Googleはこの時期に「経済衰退日本の日本庶民向けのiPhoneの代替」を売り始めたのではないか?時代の変化にほんのちょっと空いた隙間に、ぐいっと打ち込まれた楔のように、それは見えなくもない。もともと、Googleという会社のテーマは「世界中の全ての人にインターネットを提供する」である。であれば、「安価であること」は同社のビジネスにとって絶対の条件だ。その彼らが、日本が「普通の国」になるこのタイミングを外すわけはない。

なにが始まったのか?おそらくそういうことだ。

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