見出し画像

「知的怠惰」の風景

【民主主義の前提】
日本に限らない話だと思うのだが、その地域がどこであれ「民主主義」というものが軽くなってきていて、その原因としては「知的な怠惰」が、当たり前になった、ということがあるのかもしれない、と、最近は考えている。もともと、間接民主制・代議員制を前提とした私達が普通に考えている「民主主義」は、代議員を選ぶ選挙という過程、代議員自身の出自、代議員に誰を選ぶか、という選択の基礎となる、投票をする側の知識や教養について、一定以上の水準であることが前提だったし、その水準に達しないのであれば、たとえ二世・三世でも代議員は務められず、それを選ぶ方の選挙民もまた、一定以上の水準の知識や教養を持つか、あるいはそれを認めて求める姿勢を崩さないで、形式的ではあることもあったかも知れないが「(それぞれ、内容もレベルも違うとはいえ)勉強を怠らない」ということが、この間接民主制の社会制度を成り立たせていくための大前提であったように思うのだ。そこに、合理的な社会制度を基礎とするはずのヒトと、サル(ケモノ)の社会の境界線を引いていたはずだ。

【ヒトとはなにか】
もっとわかりやすく言うと「ヒト」と「ヒトの作る社会」は、その全ての構成員には、常に「知的探究心」があり、そのためにヒトは「勉強」して、自らを研鑽するものだ、という前提がある。それはヒトの社会がこの自然と戦ってコロニー(集合体)として生きて存続していくための「武器」でもあり、この「知性」という武器を常に磨き、その力を集めてヒトの社会は存続をこの世に許されるはずだった、ということではないだろうか?

【「便利な社会」を作ったがゆえに】
実際に、20世紀から21世紀にかけて知的怠惰の無い、あるいは極めて少ない社会はある程度実現されたが、一方で「知的怠惰」を前提とする、多くの「ヒト」をも、社会に作り、それを多数派としてしまったがゆえに、エリートとそうでない「ヒト」を分け隔てる社会にヒトの社会は変化し、いま、危機を迎えているのではないか?その現象の一つとして「民主主義(合議による社会統治)への信頼の欠如」があるのではないだろうか?

【「エリート」と「非エリート」の違い】
こういった社会にあって「エリート」と「非エリート」の違いとは「便利なものを考えて作るヒト」と「便利なものを使って満足するヒト」という「分断」が起きたのではないか?そして、この分断を作ったのは、デジタル技術の出現だったのではないか?と思うのだ。

【人類にデジタルがやってきた】
デジタル技術はそれ以前の技術とは違って、非常に低いコストで「便利なもの」を作れるようになった。結果として多くの場所で「なぜそれが動くのか?がわからないが使える」という人を多く産んだ。なにかシステムに不都合があったときでも、その改造や改修はエリートにしかできない。設計もエリートの手の中にある。内容が複雑であり、知的訓練ができた人でないと、原因が追求できないから、根本的な対策もできないからだ。

【「チェンジニア」と「エンジニア」】
アナログ技術とデジタル技術の間の時代、テレビの修理に来たエンジニアを揶揄して「チェンジニア」と言った時代があった。「チェンジ(Change - 交換)ニア」=「取替しかできないエンジニアのような顔で来る人=機器の保守要員」は、なぜテレビが映らないか?を追求したこともないし、追求もしない。ただ、テレビの中にある電気回路の載ったプリント基板を交換するだけだった。つまり「多くの知識や技能を要しないが問題は解決できる」。ハンダ付けもしない。ネジを緩めて締めれば彼の仕事は終わりだ。結果として、テレビが映らない現場の技術者はより安い給与(時給)でありながら、より短い時間で問題を解決できた。現場の技術者の教育にかかるコスト(時間・お金)も、大幅に減らすことができた。現在はそれが進み、結果としてスマホでも「壊れたら取り替えればいい」時代になった。スマホも、既に中を壊して開けられない作りにしてある(現代のPCの最新機種も同じだ)。ネジではなく、両面テープで部品が貼り付けてあるし、電池を交換することもできない機種が多い。電池を2年ごとに交換するより、その交換するのと同じ価格の新しい機種を買えば良いのだ。つまり「お金」という「効果」がビジネスの全てである、と考えるから、こういったことが起きる。今はもう「チェンジニア」という言葉さえ聞かない。

【「デジタル」は人類にとっての「心地よい麻薬」かもしれない】
人類の持つ道具にコスト革命をもたらした「デジタル技術」は、人間の持つ道具をより低いコストでより高い機能のものに急激に変えた。結果として「生産効率」を短い期間で劇的に上げ、より少ない労働、より少ない教育コスト、より少ない資源で、より多い収穫をもたらした。しかし、それは人類内で「より少ない作る人」と「より多い使う人」の分断をもたらし、深い溝を作った。その溝の間に、やはりデジタルでできた「インターネット」が、両者を無秩序につなぎ、混乱をもたらした。

そう考えると「デジタル」は人類にとっての麻薬だったのかも知れない。

などと、最近はそんなことを考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?