アラブの三兄弟から気付かされた丁寧な暮らし
3連休初日。近頃、何かをつくりたい熱がブクブクと沸騰中の私は何やら色々なものをつくっている。
石けん
甘酒、と後ろにぶら下がっているローズマリーのスワッグ
北欧ブームが再燃中につき、カゴカバーにしたいグラニースクエア
そしてニンニク麹
私は「丁寧な暮らし」に憧れていた。雑誌でいうなら天然生活とか暮らしの手帖的な。そして味噌やら塩麹、レモン塩、梅酒、酵素シロップなど、ありとあらゆる瓶詰めをキッチンに並べ丁寧な暮らしをしている(と勝手に思っていただけなのだが)と、自分に泥酔していた節があった。酔っているどころじゃない、泥酔だ。
その泥酔っぷりは過去のInstagramにもよく現れているが、2年前、私はこの酔いから覚めることになる。酵素シロップと麹系調味料が並んだ姿を見てふと、「アラブの三兄弟みたいだな」と思ったのだ。
柄物をあまり好まないと言う私の嗜好も相まって、白い布でまとめられた出立のビン詰はまさにアラブの三兄弟。真ん中の長男のせいでギンガムチェックの蓋が可愛いBonnne Mamanのジャムを見ても三兄弟を思い出す始末。
さらに私はこれらの大量生産した瓶詰めを使いこなせず、最終的に処分することになる。私は”丁寧な暮らし”をつくったつもりでいて、それと対極的な暮らしをつくってしまっていたのだ。
アラブの三兄弟にぶん殴られ目が覚めた私は「丁寧な暮らし」ってなんだ?ともう一度考えた。憧れの天然生活や暮らしの手帖の中には”手作りご飯””長く使えそうな上等なもの”が日常にある(ように見える)方々が並び、それが「丁寧な暮らしの手本」のようになっているが、彼女たちだって試行錯誤の途中かもしれない。完璧ではないけど雑誌に切り取られた一部が(私のような人間からすると)それはそれは素敵で、私もそんな暮らしがしたい!と己の趣味や嗜好を忘れ、その人になろうとしてしまった結果が”このざま”なのだ。
私は醤油麹が食べたいのか?それともそれをつくりたい、もっと言うならそれを作って並べている自分を見たいだけなのか?
どの気持ちも否定はしない。色々チャレンジしてみて気づくのも人間だ。私だって己の失敗から様々なことに気づいているのだから。
だけど言いたいのは「丁寧な暮らしはこれですよー」なんてものはないということだ。丁寧な暮らしも人の数だけ丁寧の数がある。
自分の暮らしを愛せているか。そのモノやコトが心地良いか。その答えが「YES」であるのなら、それが誰かに素敵だと言われるようなことでなくても、それは私の”丁寧な暮らし”なのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?