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ナポレオンとポトフと宇宙戦艦ヤマト

久々のnote。人生後半戦を過ぎ、人生は短いのかもしれない?!、、好きなことに集中、更に突き止めていきたいと、秋より2つのことに集中。先ずは、バッチフラワー。25年前に一度バッチフラワーにハマったことがあり、その時は当時住んでいたパリでレベル2まで進んだ。そうして今秋東京で、25年ぶりにバッチフラワーレメディクラスを再受講し、レベル3まで取り組み、テスト、課題をどうにかパスして、いよいよ残るはケーススタディ。バッチ博士が確立した、フラワーセラピーの哲学が何より好きで、
一貫してそのシンプルさが深さにも繋がっていると感じるし、植物と向き合うのも心地いい。来年早々張り切ってケーススタディに取り掛かるつもり。ガンバロウ。

そして2つ目は、これも長年興味があったけれど、軽めの本を眺める程度の浅ーい知識で、全くもって何もせず、胡散臭いと言われればそうかもしれない手相に着手。何故だか何十年!?と気になっていた手相について知りたいと、手相スクールへ(そんなのがある)。手相って変わるなぁ、自分自身でも長年感じていて、かなり昔の30代半ばに
1度、伊勢丹脇の新宿の母に観てもらったことがあり、全く当たってなかったことはよく覚えている。それでも、もうそうも若くない今では、国内外でいろいろな人と知り合ったし、中には違うレベルの、生きている環境が全く違うけれど、手のひらを見せてくれそうな友人、知人が幾らかいるので、単に自分の興味本位だけれど、あの人たちの手相には何が刻まれているのだろうと前々から思っていた。見せてもらえるのならば手相についてある程度知っていないと、、という思いで、今秋、手相の世界に足を踏み入れてみた。刻まれている線はただの線ではない、摩訶不思議の真もありだと感じるので、今の私は、手のひらを見る圧倒的経験値不足だけれど、こちらにも力を注いでいきたいと思っているところ。

と、長年の募る思いを第一優先に過ごした今秋、同じマンション内で引越しをしたり、その引越しの真っ只中に義母が亡くなり、引越し荷物はひとまず置いておいての一連の葬儀があったり、、。と、今年後半はバタバタ続きで、これまた大好き過ぎる映画もご無沙汰で、、ようやく恋しい映画館に3日連続で行くことができた。

そこで「ナポレオン」(Napoleon 。2023年。リドリー・スコット監督)を、先ず。足掛け20年以上、毎夏パリにいる時は同じアパートに滞在していて、そのアパートの窓からはナポレオンのお墓、アンバリッドが望め、夜にはライトアップされるその様も美しい。早朝にはアンバリッド周辺の木々から小鳥のさえずりがよーく聞こえて、麗しい日の始まりを感じられる、ナポレオンのお墓のあるアンバリッド(昔の負傷兵の病院を、今は軍事博物館兼ナポレオンのお墓がある所。パリ7区)。以前、ナポレオンのお墓を見に行って、その超特大な棺みたいなものを上から眺めたこともある。言わずもがな、ナポレオンの英雄ぶりはあらかた薄っすらと知っていたので、リドリー・スコット監督ならば!と、期待していざ「ナポレオン」へ。エキストラが壮大過ぎて、半端なく過ぎて、一気に18世紀末にぶっ飛んだ。圧巻の歴史絵巻如く、映画の世界に引き込まれた2時間強。大いに胸揺さぶられたし、ナポレオンやジョゼフィーヌの内面もわかった。と、先ずスケールの大きさに、壮観さに圧倒された感が強い映画だった。


Invalides( アンヴァリッド )
金ピカドームの下にナポレオンのお墓がある
パリ7区のアパートから
Invalides la nuit
( 夜のアンヴァリッド )



フランスの土地は、どこにいてもいつの時代でも誰でも、色っぽさがあるのをいつも感じる。「ナポレオン」はもちろん、「ポトフ 美食家と料理人」(‘ La Passion de Dodin Bouffant ‘  ラ・パッション・ド・ドダン・ブファン。2023年。トラン・アン・ユン監督)も、脚本、台詞から大いに艶っぽさを感じた。19世紀末の、森の中のシャトーに暮らす、有名な美食家ドダンと天才料理人ウージェニーが、究極のメニューを生み出すお話。料理への情熱と恋愛も入り混じり、何よりピエール・ガニェールが完全監修の料理も見たかったし、100年以上前の調度品や食器や服装も興味深かった。ジュリエット・ビノシュも変わらず上手くて(日本の大竹しのぶだ)。冒頭30分くらいは厨房の場面が殆どで、料理が作られていく様がよく見られて、こんなのが見たかったと大満足。


1974年にテレビ放映されたSFアニメの金字塔「宇宙戦艦ヤマト」の全26話を再構成した劇場版「宇宙戦艦ヤマト 4Kデジタルリマスター」を観に、息子(9歳)と映画館へ。映画館は大人でほぼ9割は席が埋まっていた。懐かしい。ささきいさおさんが歌う宇宙戦艦ヤーマートーは、この年になるまで忘れていない。古代進も島大介も森雪も、波動砲もワープもイスカンダルも忘れてなかった。小学校の時の運動会での行進曲が、宇宙戦艦ヤマト。私は器楽クラブでトランペットを担当。熱心な音楽の先生(菅谷先生!?)の指導で、連日宇宙戦艦ヤマトを皆で演奏、練習したことも思い出深い。松本零士先生無くしては存在し得ない、宇宙戦艦ヤマト。大いに楽しめた。昭和感たっぷりなのも嬉しい。平成生まれの息子も宇宙戦艦ヤマトに首っ丈になった。「松本零士先生、素晴らしかったです!どうもありがとうございました」と唱えたくなった、「宇宙戦艦ヤマト」だった。


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