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私がヘブライ語を話す理由。

2016年にイスラエル人の旦那と出会ってから亀の歩ペースでヘブライ語を勉強している。世界でおおよそ9百万人しか話さない言語を私が使う理由は、我が家の多言語育児論に直結する。

平和な挨拶

ヘブライ語でこんにちはさようならは「シャローム」。直訳すると「平和」である。旦那と付き合いたての頃は、使用人口の少ないこの言語を習おうと微塵も思っていなかった。

そもそも何もかもがひっくり返ってて逆さまである。右から左に読むし、文字だって読めやしない。

שלום שמי נוריקו

上記のを左から読んで日本語に訳すと「こんにちは、私の名前はのりこ」であるからたまげたもんだ。分からなさすぎてワクワクした。
すでに私の他の記事を読んでいただいているのであればご存知だと思うが、こういう分からなさすぎるの、嫌いじゃない。

ロマンある言葉

ユダヤ人の言葉であるヘブライ語は、旧約聖書で使われているほどの古代言語。この言語の物語には諸説あるが、イスラエル建国の1948年までは公用語としての姿を消していた。それが20世紀に復活したのだ。
そんな、ちょっぴりロマンのある古代言語
ただ、いくら私でも、ロマンだけでは言語を学ぶ原動力にはならなかった。

平和ではない国

挨拶がわりに「シャローム(平和)」と使っているわりには、ご存知の通り、イスラエルはあまり平和な国ではない。この件に関して下手なことを書きたいと思わないので、割愛するが、ざっくりまとめると隣国(しかも複数の国)と実に複雑な関係にある
気になる方は、ぜひ『ベイルートからエルサレムへ:NYタイムズ記者の中東報告』を、できれば英語で読んでみて欲しい。和訳もあるそう。
これほど中立に、中東で起こった出来事や情勢を解説した本と出会ったことがない。

話は逸れたが、私にとってなぜヘブライ語を学ぶことが大事かと言うと、他ならぬ我が娘がイスラエル人でもあるからだ。

言葉が世界を作る

またの機会に書こうと思うが、私はここ数年「世界は言葉でできている」と理解して行動している。
考えてみて欲しい。今となっては世界共通で通じるアラビア数字(1、2、3)。その数字に基づいて成り立っている数多くの「はかりごと」。
例えば1日の長さ:

  • おおよそ24時間というところで世界中の合意がある。

  • 1日をおおよそ365回続けたら1年になる。

もし、数字がこの世から無くなったら「時間」という目に見えないものは存在しなくなる。この可能性について止まって考えてみてほしい。

哲学的になりすぎたか。
でも、要はそういうことを本気で思っている。日本人的な感覚で言うと「言霊」とでも言おうか。言葉には、現実を作る力がある

なので私は、ヘブライ語だけに存在する現実や、感覚、感情、想い、生き方などが存在していてもおかしくないと思っているし、日本語や英語、その他の言語においても同じ考えだ。
実は英語に「夏バテ」という言葉に値するものは無い。私が育ったイギリスにもそのような概念は無い。
なので、私は「夏バテ対策」という商品やスポーツドリンクを日本の夏季に目にするようになるまでは、人生で夏バテをしたことがなかった

そんな具合で、ヘブライ語にも私の知らない世界がある。それを娘と一緒に分かち合いたくて、日々、少しずつ勉強しているのである。

(本当に少しずつ、ですよ)

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